連載「供述弱者を知る」の続編では、2017年8月の出所から6年、2020年3月の再審無罪から3年となる苦難に次ぐ苦難の道のりを、持ち前のバイタリティで乗り越えてきた今日までを振り返る。
「人工呼吸器外し殺人事件」の冤罪の舞台となった滋賀県の病院で、逮捕前まで看護助手として働いていた西山さん。逮捕時から13年に及んだ収監中、ずっと胸に秘めてきた「夢」があった。それは、介護の現場に立つことだった。
念願の介護職 一般雇用で感じた「壁」
2020年11月末、西山さんは障がい者雇用で勤めていた機械部品会社を辞め、自宅から歩いて通えるほどの距離にある高齢者施設で働くことになった。念願の介護職だったが、今度は障害者雇用ではなく、一般雇用での就職だった。働き初めて1カ月が過ぎたとき、西山さんはフェイスブック(FB)でこんな発信をした。
「昨日は、出所(2017年8月*筆者注)してから初めて10万円以上のお給料を、もらえました。嬉しいな。もうすぐ父の誕生日なので、ベッドが欲しいと、言っていたので、購入することにしました」
しかし、一般雇用での介護職には大変なことも少なからずあった。職場は従業員の数が少なく、ときには一人で何役もこなさなければならない日もあった。障害があっても、ない人と同じ作業量を求められた当時の職場をこう振り返る。
「一般雇用だから私の障害への配慮はないです。ハードルを上げられてしまうのはしんどいところがあった。職場の人数にも余裕がなくて、同僚たちもバタバタしていた。そういうときにミスが出ると、言い方も厳しくなりますしね」
軽度の知的障害と発達障害がある西山さんに限らず、誰しも得意なことと苦手なことがある。職場の人数に余裕があれば、それぞれの特性に応じて役割を分担できるが、人数に余裕がない職場では、そうも言っていられない。その施設には余裕がなかった。
人が働く上で「楽しい」と感じるにはいくつか条件がある。その仕事が好きか、その仕事が自分に合っているか、だけではない。仕事の負担が自分には重すぎないか。人間関係が良好か。人が働く喜びを実感するには、協力しあうことで仲間意識をはぐくみ、達成感を共にできることも大切になる。
西山さんの場合、介護職は希望して選んだ「好きな」仕事だった。また、西山さんは一生懸命に仕事をすることを大切にする。だが、それだけでは乗り越えられない「壁」が、職場の環境だった。
苦手から起こる「負のスパイラル」
まだ自分の障害に気づいていなかった18歳のころ、高校を卒業してすぐに入ったスーパーでは、同僚とうまく人間関係を築くことができずに退職。その後、看護助手として3カ所の病院に勤めた。病院を変えたのも、やはり人間関係が原因だった。たとえば、西山さんは同時に2つのことを指示されると混乱してしまう。どちらかの作業が雑になってミスを重ねてしまうことがたびたびあった。それが上司との関係を悪化させる原因になった。数を数えることも苦手だった。「20までは何とか数えられるけれど、それ以上になるとだんだんこんがらがってくる」という。