私は、岐阜県を流れる三大河川のひとつである長良川流域のなかでも、「長良」と呼ばれる地域で生まれ育った。幼馴染の友人の兄が現在の長良川鵜飼の鵜匠頭(リーダー)を担っていたり、子どもの頃には気楽に鵜匠さんのお家に「遊びましょ」と言ってお邪魔していたりしていた。そうして長良川鵜飼を支えてきた人たちの暮らしをずっと身近に感じてきた。
もちろん、子どもの頃は、鵜飼が行われる夜の長良川にたやすく出かけられたわけではない。それでも大人たちが、毎夜、酔狂な船遊びをしている様子や、いまでこそ減ってしまったけれど、かつては長良川を埋め尽くすほど多数の鵜飼観覧船に取り付けられた提灯がゆらゆらと揺らめいて夜の川面に映る姿は記憶に残っている。
そして、なにより篝火(かがりび)のもと、鵜匠が鵜をはげます「ホウホウ」という掛け声や、鵜舟をトントンと叩きながら鵜との絶妙なコンビネーションで鮎を獲るという「音の記憶」は、いまも私のなかにしっかりと刻まれている。
ちなみに、川と当時の家との距離を考えると、子どもだった私の耳にその音が本当に聴こえていたのかは定かではない。でも、確かにその音をしっかりと思い出すことができるのだ。それもこれも、毎年、必ず目にし、耳にする長良川の鵜飼が、いまも変わらず、そこにあるからこそ鮮明に蘇ってくるのではないかと思う。
この「いまも変わらない」というのが、1300年以上にわたり継承されている長良川鵜飼の最も大切なところだ。鵜匠が鵜をあやつり、魚を捕える古典漁法としての鵜飼は、その姿の雅さゆえに、歴史的にも時の権力者に保護され、この地の観光としての一端を担ってきた。そして鵜飼は川漁の1つではあるが、同時に伝統文化を伝える宗教的な行事でもあると言える。
そんな伝統漁法を限りなく当時のまま粛々といまも守り続けている、もしくは続けようとしている。だからこそ、長良川の鵜飼は、日本で唯一の皇室御用鵜飼であり、長良川の鵜匠だけに「宮内庁式部職鵜匠」という職名が与えられているのだ(ちなみに彼らの身分は国家公務員でもある)。
長良川の鵜匠は現在6人。代々世襲制であり、前述した私の幼馴染の兄である杉山雅彦鵜匠がその代表を務めている。45年ほど前、彼が急逝した父の跡を継いだのは弱冠18歳の大学生のときで、当時は「長良川に初の学士鵜匠の誕生」と、かなり話題になった。
こうして受け継がれてきた長良川の鵜飼は、まさにサステナブル(持続可能性)な地域資源であり、1300年続いている観光鵜飼は、日本の「サステナブルツーリズム」の代表事例の1つと言えるだろう。