女性に限れば、存命中に再審で無罪になったのは、東住吉事件の冤罪被害者、青木恵子さん(59)との2人しかいないという、極めて稀な存在になる。可能性のわずかな無罪を勝ち取ってからも、冤罪被害者には苦難の道が続く。
西山さんが再審無罪となった2020年春から、41回に渡ってForbes JAPAN Webで展開した連載「供述弱者を知る」。出所から6年、無罪判決からコロナ禍を経て3年。どんな人生を歩んできたのだろうか。西山さんの再起の道のりを辿っていく。
出所後6年、ようやく訪れた「春の訪れ」
いま、西山さんの社会生活は「春の訪れ」を迎えている。「年老いた両親を見守りながら念願の介護の仕事に就くことができ、毎日が充実しています」
ようやく新たな人生が軌道に乗り始めた実感が言葉に込められた。同時に、いかに今日までが苦しかったか、本音をこう語る。
「刑務所を出たときには、まだ再審決定も出ていなかったし、決定が出てからも再審で無罪になるまで、2年3カ月かかりました。あの頃は本当に1日1日を生きるのが精一杯で、毎日がつらく、よく乗り越えてきたな、と思います」
出所後、西山さんはいくつものことを同時に進めなくてはならなかった。
まずは、仕事を見つけ、13年ぶりに再スタートする実家での生活を落ち着かせること。次に、再審の扉を開き、無罪を勝ち取ること。さらに、冤罪を自分だけの問題に終わらせず、他の冤罪被害者たちの「支援者」として活動することだった。
何もかもが浦島状態。 スマホをすぐ入手し、教えてもらったこと
出所した当時の取材メモを見ると、不安に押しつぶされそうな悲鳴が聞こえてくる。「まだ1人で外に出るのは不安。再発行された運転免許証を受け取りに行くのも、父についてきてもらいました。それでも、人が多いと胸が詰まるような感じで、過呼吸にもなりかけた。胸が苦しくなってくるのが、自分で分かるんです」(取材メモより)
13年ぶりの世の中が様変わりしていたことにも戸惑った。見るもの聞くもの、何もかもが浦島太郎の状態だった。誰もが手にしているスマートフォンを「刑務所を出てからすぐに買った」という。
通信アプリL I N Eの使い方を覚えたのは、出所から10日ほど過ぎたころ。獄中で精神鑑定をした小出将則医師が西山さんの実家を訪問した際に、使い方を教えてくれた。以来、知り合った人たちとラインでつながり、人間関係を広げていった。