「水曜の朝、午前三時」、「ラジオ・エチオピア」、「悪魔を憐れむ歌」、「別れの時まで」に続く最新作は、ジョージ・ハリスンのナンバーから採られている。その名も、「美しき人生」である。
ジョージの曲の原題は、ずばり「What is Life(人生とは何か?)」。ビートルズ時代からインド哲学の信奉者で、この曲を収録したアルバムも「オール・シングス・マスト・パス(すべては過ぎゆく)」と命名した賢者なればこそのタイトルだが、「夜と朝のあいだに」以来なんと12年ぶりという蓮見圭一の新作長編の内容とも深い部分で結びつく。
小説に登場する2人の主人公
ライターの阿久津哲也は、妻との婚姻解消で離れて暮らしてきた高校生の息子の卒業式に列席し、わが子の思いがけぬ成長ぶりに心を打たれると同時に、印象的な祝辞を子どもたちに贈る校長の真壁純に興味を抱く。構成を手がけるラジオ番組で彼のことを採りあげ、息子の担任を介して本人に取材を申し込むと、果たして真壁は、平凡とはいえない人生を歩んできた人物だった。
彼を妊娠中だった母親は、父親とともに交通事故で命を落としたが、母の胎内で奇跡的に助かった真壁は、無事この世に生を受けた。父方の祖母の庇護を受け、北海道の田舎町・岩内で伯父夫婦に育てられ、すくすくと成長すると、中2の時に静岡県沼津の母方の実家に引き取られることとなる。
それは、心を通わせてまだ間もない大切な人との長い別れを意味するものでもあった。
この「美しき人生」という小説には、2人の主人公がいる。かたや、多感な青春期を過ごした母校で30年後に校長の職についた真壁。そしてもう1人は、真壁に興味を抱き、取材を試みる不惑の40代も半ばにさしかかった阿久津というフリーランスのライターである。
2人の主人公は、入れ子の構造でいう内側と外枠の関係に近い。真壁の人生を過去とすれば、それに耳を傾ける阿久津は現在の存在である。阿久津という聞き手を通して語られる、真壁という人物の来し方の物語と思ってもらえば、少しわかりやすいかもしれない。
息子の卒業式からしばらくして、改めてラジオ局のプロデューサーを伴った阿久津は、愛車のラシーンで東名高速を飛ばして、沼津の高等学校に真壁校長を訪ねる。彼の出生に始まる長い長い真壁の回想の物語が始まる。
鮮やかに浮かび上がる「愛の普遍」
人生とは何か? 人として生まれたからには避けて通れないこの大問題は、哲学の徒をも悩ませるであろう難問中の難問だが、その問いにあっさりと答えを出したのが、ジョージ・ハリスンの「美しき人生」という曲だ。ジョージはこの曲を、バスで移動中のわずかな時間で書き上げたというが、曲に託したメッセージは、あっけらかんとするほどシンプル。すなわち「愛こそが人生」である。