古武道とは、明治維新以前に武士を中心として発展した日本の伝統的な武道。江戸時代には興隆を極め、一時は数百、千を超える流派が存在したと言われる。
泰圓澄さんは、30歳を目前にしてエンジニア職から喫茶の道へと進んだ。かねてから尊敬していたマスターの元で修行を積んだ後、現店舗を任されるようになり、いまや焙煎からネルドリップ、サーブまでをこなす多忙な日々を送っている。
そんな彼だが、休みの日には電車を乗り継ぎ東京多摩南部の都市、町田市の小田急線玉川学園前駅へと出向く。
駅から徒歩数分、なだらかな竹林の参道を抜けると、ぬぼこ山本宮という一風変わった名の神社がある。その拝殿内部の道場で泰圓澄さんは、多くの場合は一人で、ときに他の習い手とともに古武道の稽古をしている。
神社だからこそ継承されてきた古武道
ぬぼこ山本宮は1933年に、当時の影山流宗家であった宮崎雲舟(みやざき うんしゅう)によって町田市の玉川学園前駅に創建された。その由縁は、宮崎雲舟が永らく不明となっていたスサノオノミコトにまつわるご神蹟を、長年の探求の末に吉備国にて発見したことに起因するという。
「近隣の方も、もしかするとここで古武道の稽古が行なわれていることはご存知ないかもしれないですね」と泰圓澄さんは語る。
住宅街にひっそりとたたずむこの神社の雰囲気と古武道は、確かになかなか結びつかないかもしれない。
しかし、神社はとても大事な存在だった。
「近年、残念ながら途絶えてしまった流派も多くあると聞いています。影山流が失伝せずに受け継がれてきたのは、神社という気軽に人が集うことができる空間があったからだとも言えると思います」
困難だった古武道・影山流へのアクセス
元来、古武道は他流試合を禁止していたり秘伝であったりするため、必然と表立った活動をしていないことも多い。そのため、明治維新を迎え廃刀令が出されたことで武士階級が崩壊し、価値観も変容したことで伝承の危機となった。その後も第二次世界大戦後の混乱などを経て、人知れず消滅していったケースも少なくないという。
泰圓澄さんも、この令和の時代において古武道・影山流にすんなりとアクセスできたわけではない。