メタバースと「科学の子」

川村雄介の飛耳長目

昨秋開講した東京大学のメタバース工学部が好評だ。メタバースを活用した新しい形態の講座である。中高生を対象にしたジュニア工学教育プログラムと社会人・学生向けのリスキリング工学教育プログラムから成る。

後者はプログラム会員企業から抽選で選ばれた社員が受講している。初回の募集で16社695人が参加し、受講者は若手社員に限らずシニア層も意欲的だという。AI講座、アントレプレナーシップ講座、次世代サイバーインフラ講座、Python講座から構成された。

リスキリング華やかな昨今である。社会のデジタル化や革新的技術が急発展する一方、職業の流動化が当たり前になっているから、プロ職業人としてのサラリーマンには学び直しが不可欠になっている。

リスキリングとは、「新しい職業に就くために、あるいは、いまの職業で必要とされるスキルの大幅な変化に適応するために、必要なスキルを獲得させること」と定義される。その主体は企業だが、伝統的な企業内教育ではカバーし切れない範囲が広がってきたので、よりオープンなかたちを取り始めている。東大のメタバース工学部もそうした潮流に乗っている。

他方、個人主体の学び直しはリカレント教育と呼んでいる。リスキリングであれリカレントであれ、要は新しい時代に適応していくための方途ととらえれば本質は同じである。

新しいことを学ぶためには、そのベースとなる基本知識が必要だ。ベテラン社会人を悪魔の辞典的に定義すると「知らないことを知ったふりする名人」かもしれない。これではいつまでたっても真の新知識は身につかない。恥じることなく、忘却の彼方にかすんでいる中高生時代の知識をよみがえらせてこそ、先端分野の知識を活かせるのではないか。

再度の技術大国を目指す日本にとっては、若手理系研究者の育成とともに、文系中高年の奮起も大切だ。文系社会人こそ、理系の基礎知識をrecurrentしたい。

例えば、いまや日常生活から宇宙開発まで不可欠になっている半導体である。半導体とは何か、という問いに、導体と絶縁体の中間的性格をもつ物質である、という答えでは、すべてを語って何も語っていないに等しい。

半導体が与件の変化によって、電流を整流したり、スイッチになったり、記憶したり、はたまた計算したりできるのはなぜか。物質としての半導体を定義するだけではピンとこないのが普通だろう。

その仕組みの基礎の基礎だけでも理解するためには、電気、光、波の性質や原子の基本構造、元素の周期表等々、物理と化学の基礎知識を呼び起こさなければならない。これらは遠い昔の中高時代に学んだはずだが、大半の文系社会人には記憶の片隅にもないかもしれない。
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文=川村雄介

この記事は 「Forbes JAPAN 2023年6月号」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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