広がる「自然葬」
──ズヴォレンの「思い出の庭」とコシツェの「思い出の森」は、樹木の下やベッドに埋葬する、埋葬にあたってはプラスチック素材などは使わずエコロジーな素材を使用し、きちんと墓標をつける、といったルールで機能しているようですね。
またあなたは「葬儀というセレモニーそのもの」にも携わっていますね。葬儀の運営は、この2つの墓地だけでやっていますか?
いいえ、この2つの自然葬墓地で行うことが多いのは事実ですが、全国どこでもセレモニーのお手伝いをさせていただいています。──他の地域にも自然葬を広げる計画はあるのでしょうか?
多くの自治体から声をかけていただいていますが、プロジェクトが資金面で行き詰まったり、交代した新市長が自然葬に興味がなかったりして実現しないことはよくあります。だから、今誰と(どこと)仕事をしているのか、事前にはなかなか明かせません。しかし、トルナヴァのペーター・ブロチュカ市長は、すでにSNSで自然葬プロジェクトを計画していることを発信しているので、おそらくトルナヴァには、新しい自然葬墓地が建設されることになると思います。
理想の「供養」とは
──伝統的な葬儀の何が人々を悩ませているのでしょう。なぜ、あなたの差し出す代替案に需要があるのでしょう。
私は大学時代にこのテーマでアンケート調査を行いましたが、とくにチェコやスロバキアの社会では、現状の葬儀の形態に不満があることがわかりました。1つ目の不満、すなわち葬儀社が手配するプロの葬儀司会者への評価の低さは顕著でした。多くの人が、プロの、あまりにも芝居がかった演出を哀れだとさえ感じていました。2つ目の批判は、最後の別れが行われる「空間」の非人間性、冷たさでした。そして、3つ目に挙げられたのは式の時間の短さでした。生涯を共にした人に別れを告げるセレモニーが、時にはたった30分足らずで終わってしまう。そのことへの忿懣です。中には最後の歌が歌い終わられていないのに、葬儀社の案内係が次のセレモニーのために参列者を追い立てて退去させてしまうこともあるようです。
──理想の「供養」とはどんなものと考えますか。死者を送るセレモニーは、どのような効果をもたらすべきでしょうか。
なんといっても、残された人々にとっての「セラピー効果」だと思います。ですがスロバキアでは、セレモニーには効果があるどころか、逆に「トラウマ」になることが多い。人々は式典をパフォーマンスとして、映画として認識していて、「ああ、あまりいい映画じゃなかった」などと言い合うのです。「オーダーメイドのお別れ」は可能か
──セレモニーのディレクションをされる際、どのような点が違うのでしょうか?
私たちが催行するセレモニーの場合、1つとして他の式と同じ式はありません。伝統的な、奇をてらわない形式で行うことは心掛けますが、ご遺族が故人の好みをよくわかってさえいれば、セレモニーのロケーションもシナリオも故人の希望に沿ったものにできますし、ご遺族にもそうご説明します。時にはご遺族が私たちに追悼の言葉を依頼されることもあり、その場合はご希望に応じて、式に参列することもあります。
──では、その式も伝統的なものに近い形で行うことができるのですね。
そうですね。違いは式の準備段階から、遺族の方々に協力していただこうと心掛けていることです。セレモニーをカスタマイズできること、「台本」には必須項目はないことを再認識してもらうのです。セレモニーを行う場所や時間、骨壷や棺にメッセージを書くことなどは、ご遺族に決めていただいています。それは常にご本人たちの自由であり、私たちが何かを強制することはありません。ご遺族が「スピーチはしない」と断固おっしゃっても、実際の葬儀中によく気をつけてコミュニケーションを取ることで、その時々に感じたことを、ご遺族が話してくださることもあるんです。
もちろん、僧侶による伝統的な葬儀がご遺族にとって最も理にかなったものである場合、私たちはそれに問題を提起したり、別の演出を提案したりすることなどありません。