私が尊敬するのは……
オムロン創業者 立石一真さんです。
自らがエンジニア魂をもって技術と社会の未来を構想し、経営者として遅咲きの50代になって、オートメーションを共通コンセプトにしたイノベーションを実現しました。技術とビジネスによる社会貢献という理念を体現しており、その企業理念が、創業者亡きいまも息づいています。その背景には、時代の進化を洞察するSINIC理論により後進に時代の洞察眼を残したことがあります。深みとすごみを兼ね備えた希代の経営者だと思います。
佐宗邦威◎東京大学法学部卒、イリノイ工科大学デザイン学科(Master of Design Methods)修士課程修了。P&G、ソニーを経て2015年、共創型戦略デザインファーム・BIOTOPE創業。多数の企業・組織のイノベーション支援を行う。『直感と論理をつなぐ思考法』『ひとりの妄想で未来は変わる』『VISION DRIVEN INNOVATION』等。多摩美術大学特任准教授。大学院大学至善館特任准教授。
1959年7月、「知の巨人」「経営の神様」とも呼ばれたピーター・ドラッカーが初来日する。箱根・富士屋ホテルで行われたセミナーでは、ソニーの創業者、盛田昭夫、井深大、日本電気の小林宏治ら七十数人がドラッカーの話に耳を傾け、懇談をした。名だたる経営者、創業者が顔を揃えたセミナーで、ドラッカーを魅了した経営者がいた。
オムロン(当時は立石電機製作所)創業者、立石一真だ。その後、家族ぐるみの付き合いにまで発展し、終生、互いに刺激を与え合ったという。
徒手空拳から事業を起こした立石の情熱、努力、才能をドラッカーは絶賛した。なかでも手放しで褒めたたえ、強く共鳴したのが、そのビジョナリーな視線、考え方だった。ソニー創業者たち、また松下電器産業(現、パナソニック)の松下幸之助、ホンダ創業者、本田宗一郎らそうそうたる創業者たちに比べると、立石の名は知られていない。
けれども、「経営の神様」に感銘を与え、米ハーバードビジネススクールなどでは盛田や松下、本田ら以上に取り上げられ、評価を受け続けている経営者なのだ。
立石のオムロンが世に送り出した製品は、いまや日本社会に浸透し、日本のインフラを支えている。円滑な鉄道運行を支えている「自動改札機」や「自動券売機」、「道路交通管制システム」。また銀行に設置されているATM(現金自動預払機)は立石が発想し、開発し、そして世に届けた製品である。
ATMを設置した住友銀行(現、三井住友銀行)では、自動で現金が出てくるのを見ていた時の頭取、住友銀行の法皇とも呼ばれていた堀田庄三が、思わず機械の裏側を覗き込み、「誰もおらへんわ」とつぶやいたほど。世間を驚かせた。