タイトな文化の「恩恵」
混乱を避けること、秩序を重んじそれに則って行動すること──それらは私たちにとっては当たり前すぎて注意を払ってこなかったことかもしれない。しかし著者は、世界的にも大きく報じられた、2011年の東日本大震災の際の人々の行動を引き合いに出し、その際の「日本国民の対応や社会的行動は、危機に直面したときのタイトな文化の恩恵を示す好例である」としている。
具体的には、震災が起こったときに東京にいた著者によると、「何もかもが揺れても、叫び声を上げる人はいなかった。地下鉄が止まったので、みんな静かに家まで歩き始めた。(中略)ひどい交通渋滞が起こり、バスもなかなかやってこない。それでも、乗客はバス停前に整然と並び、列に割り込んでくる人は誰もいない。略奪や盗難もなく(地下鉄の駅を含めて)、この苦難に際して泣き叫ぶことも、大騒ぎすることもなかった。この国を揺るがす大きな脅威の瞬間に、市民は習慣となっている行動をとり、静かに振る舞い他人に迷惑をかけないという規範を遵守したのである」。
大きな災害が起こった時に人々が混乱すればさらなる二次災害を生みかねないが、文字通りどんな状況にあっても秩序を重んじる文化が行き渡っていることが、災害時の混乱を大きくしないことに寄与したという。そして、日本の文化そのものが、「有事の時の負のインパクトを軽減することに重きを置いた運営になっている」と結論づけている。
「タイト・ルーズ理論」とは
この日本の文化を著者は、「タイトな文化」という名前で呼んでいる。著者は、日本に「町中のそこここに、スポーツクラブ、オフィスビル、学校、レストラン、トイレ、駅、バス停などでも注意書きがいくつもいくつも存在する」ことを取り上げ、「公序良俗や他人に迷惑をかけないことをここまで気にかける理由はどこにあるのだろうか」と問いつつも、それこそがタイトな文化の表れであるとしている。
つまり、災害時や有事のみならず、毎日の生活において、一つ一つの行動に決まった規範が存在することを意味する。駅で電車を待つ時の並び方、制服のスカートの丈、ゴミの出し方、靴を脱ぐ場所と揃え方、お辞儀の角度……。「タイトな文化は日本に見られるように、何が『正しい』行動とされるかについて強い規範があり、逸脱者を排斥する強いメカニズムが働くのが特徴だ。対照的に、米国のようなルーズな文化では、許容されることの定義ははるかに広く、コンプライアンス違反についてもそれほど咎められない」
この下敷きになっているのが「タイト・ルーズ理論」で、「社会的な行動規範の強さと、規範を逸脱する行為に対する寛容さをもとに、国ごとの違いを浮き彫りにする」ものだという。