政治

2023.04.22 18:00

いま米国で回顧される「東京ローズ」と白人弁護士の物語

サンフランシスコ裁判所 (Getty Images)

その後、シカゴ・トリビューン紙の記者の深層を抉る取材で、国家反逆罪の裁判の際に検察は彼女の上司を脅迫して偽証をさせ、提出された彼女の録音放送の証拠はたくさんの箇所で切り貼りの不当な編集がされていたことがわかった。
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このことで冤罪だったことが確かなものとなり、1976年にフォード大統領が恩赦を与えて、彼女はアメリカの市民権を取り戻した。90歳で亡くなる寸前には、第二次世界大戦の退役軍人会から、あなたこそ真の愛国者だと栄誉ある賞が贈られている。しかし、いまでもFBIの記録に戸栗さんの事件は載っていて、しかも「冤罪」であったという記述はない。

戸栗さんは日本人の両親から生まれた日本人だ。前述のようにアメリカで生まれたため二重国籍だったが、日本の国籍を残していると当時は排日の偏見が厳しかったため、彼女の父親はわざわざ戸栗さんの日本国籍を戦争の前に除籍している。つまり、彼女はどこの国の国民でもない時を30年も生きたということなのだ。

日本もアメリカも、彼女を都合よく市民としてみなしたり、みなさなかったりして、プロパガンダ放送を強制させたり、そして戦後の反日感情のスケープゴートにしたり。自分の国がどこにもないという人生を送るのは、本当に辛く厳しいものだったにちがいない。

日系人のために戦った白人の弁護士

戸栗さんの国家反逆罪公判の弁護士は、白人のウエイン・コリンズ氏という人が担当した。戦争をくぐり抜けた日系人で、この勇気あるコリンズ氏のことを知らない人はいない。
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罪状が反逆罪なだけにどんな弁護士も引き受けなかった。泣く子も黙る「アメリカ自由人権協会」も「日系アメリカ人市民同盟」も、あのときは無視を決め込んだ。それを、日本人の血が少しも入っていないコリンズ氏が引き受け、検察に向かって「ふざけるなバカ野郎」「この野郎」と罵声を吐き続けながら、戸栗さんの弁護士として戦った記録が残っている。

彼は死ぬまで戸栗さんの冤罪を晴らすべく戦った。思い半ばで逝去したが、彼の息子のコリンズ・ジュニアが弁護士となり、その後も戸栗さんの事件を手掛け、大統領恩赦まで持っていったという経緯もある。

親子二代で30年かけて1人のクライアントの人権をかけて戦ったばかりでなく、コリンズ氏はこのほかにも、戦争でアメリカ国籍を放棄させられた日系人5000人の強制送還を阻止するために、国を相手取ってたった1人で訴訟した。全部結審するまで20年かかっている。

奇しくも去年末に、アメリカ政府とロシア政府が、大麻所持でロシアが拘束していた米女子バスケットボール選手ブリトニー・グライナーさんと、映画にもなった闇の武器商人ヴィクトル・ブート氏(ロシア人でアメリカで刑期中だった)の身柄交換を行った。

ロシアによるウクライナ侵攻をめぐり、冷戦さながらに緊張感を募らせる大国の間の駆け引きだったが、国家反逆罪を着せられた戸栗さんに比べれば、「帰る国がある人」はそれでもまだ恵まれていると思わずにはいられなかった。

文=長野慶太

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