言わんとするところが分からないわけではないですが、「人間という存在をずいぶんと狭い範囲でしか見ていないのでは?」という根本的な疑問は拭えません。今回は、『新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済10の講義』で追究している視点で、この問いへのヒントを考えてみます。
2月、京都府の日本海側にある丹後地方に滞在して見聞きしたことが手がかりになりそうです。繊維分野の企業や農家などを訪問し、この地域の資産を多面的に知ることができました。そこで、ぼくは「弱い産業革命」というコンセプトを発展できないか? と考えたのです。弱い産業革命とは聞き慣れない言葉ですが、これから説明していきます。
丹後には田園・山・海の風景や食など惹きつけられる素材が豊富です。撚り(より)をかけた糸のことを撚糸と呼びますが、ここは、撚糸を活用した後染め絹織物「丹後ちりめん」の産地として名が知られています。丹後ちりめんは京都市内で加工されることを前提としたビジネス構造で発展しましたが、着物市場の縮小と共に工場も廃業するところが相次いでいます。
それでも、繊維の工場がいまも数多くあるのは変わりません。ただ、工場という名から想像されるような大きな建造物が立ち並んでいるわけではなく、一見、普通の住居と思われるような建物から機織りの音が聞こえてくる。それで機織りのまちであることに気づきます。工場のなかに入ると古い機械が並び、複数の機械を1人で管理しながら、数人が働いています。多くは高齢の方で、データによれば兼業農家の女性がパートで働くケースが主流のようです。
このような説明をすると、地方にある衰退した製造業の典型例と思われるでしょう。ぼく自身、事前に仕入れた知識やこれまでに見た他地域の事情から推測し、丹後にどのような突破口があるのだろうかと考えながら、かの地に出向きました。毎日、何社かの工場を訪れるうちに、次の問いが浮かんできました。
「ここで機械と人は対立しているのか?」「兼業のパートがネガティブで、都会の大企業社員の副業がポジティブに取り上げられるのはおかしくないか?」