AIが書いたものかどうか判別は困難
もちろん、内容に誤りがないかの入念なチェックは不可欠だが、すでに実用レベルにあると感じる。SEO視点で構成や文章を作成してもらっているわけで、検索エンジンフレンドリーな作りとなっている。現時点ですでに、人間が書いたのかAIが書いたのか、一般ユーザーが見ても分からない品質のコンテンツ制作も可能だ。検索エンジン側が、AIによるコンテンツであると判断することも困難であろう。これらの理由により、すでにコンテンツ制作に活用している企業やSEO会社は多いと筆者は考える。
これからさらに精度は上がっていくだろうし、GPT-4の後継もいずれ登場するはずだ。既存のいわゆるSEOコンテンツは、無限に、かつ自動的に生産できるようになる。ネット上には、大量のSEOコンテンツがあふれる。
決して、10年後の話ではない。今のAIの指数関数的な進化スピードを見ると、数カ月おきにフェーズが変わってもおかしくない。ディストピアにも思えるこの近未来。しかし、SEOコンテンツの意義について、考えるきっかけを与えてくれたという意味では、歓迎すべきことかもしれない。
膨大なコンテンツであふれる、その先に起こること
SEOコンテンツが巷にあふれるようになったのは、何も最近のことではない。もう何年も前から、SEO会社はクラウドソーシングプラットフォームを活用し、SEOコンテンツを大量生産してきた。報酬が1本数百円など、コストを極限まで抑えた案件も現れた。当然、品質が高いとはいえないコンテンツも多数混じってくる。それでも、検索流入数という分かりやすい指標があるため、企業はこぞってSEOコンテンツをウェブサイトに掲載しつづけてきた。ところが、コンテンツの受け手は、何を読んだかは覚えているが、どのウェブサイトで読んだかは覚えていない。なぜなら、横並びの無機質なコンテンツが増えすぎたからだ。
コンテンツ制作者やコンテンツ配信者の顔が見えない、人間味のないコンテンツが大半である。これではユーザーとの関係性構築は難しい。中長期的には何の意味もないと考えるのは、筆者だけではないはずだ。
そもそも、検索エンジンの方を向いた施策が誤りなのだ。ユーザーと向き合った上でコンテンツ制作にあたるのが、本来のマーケティングのあるべき姿である。SEOという単語はミスリードを生みやすい。企業はユーザーの悩みをストレスなく解決するコンテンツを目指すべきである。
いずれにせよ、世の中にSEOコンテンツがあふれる状態は避けられない。一方、これから遠くない将来、「検索行動」自体が減少していくと筆者は考える。場合によっては死語となる可能性すらある。AIがあらゆる悩みに一瞬で答えてくれるのであれば、しかも回答の精度が高いのであれば、ブラウザで検索する必要性に乏しいからだ。
AIはこれからも指数関数的な進化を続け、世の中は膨大な数のコンテンツであふれる。そして長い目で見ると検索行動はなくなっていく。企業はついにこれまでのやり方を変える時が来た。
大量生産型のSEOコンテンツではなく、ユーザーに刺さるコンテンツを。検索流入ではなく、ユーザーに確実にコンテンツを届ける仕組みづくりを。一度立ち止まってこれらを真剣に議論せねばならない。