クレイ勇輝(以下、クレイ) 国内産眼鏡フレームの約95%が福井県鯖江市を中心に生産されている、いまやその事実はかなり浸透していますが、そもそも眼鏡づくりはいつごろから鯖江市に根付いたのでしょうか。
佐々木勝久市長(以下、佐々木) 鯖江はもともと農業中心の土地でした。でも冬になると雪に埋もれてしまって、現金収入を得られる仕事がなかったんですね。
それまでも繊維や漆器の生産が行われてはいました。それが、旧足羽郡麻生津村の村会議員・増永五左衛門さんが、少ない投資で収入が得られて、しかもこれからは活字文化が進み需要が高まるであろう眼鏡に目をつけたそうなんです。
それで1905年(明治38年)に大阪から職人を招いて、村の人を巻き込んで眼鏡づくりを習得して農閑期の副業としたところから始まりました。
クレイ それが100年ほどで産業として定着していったんですね。
佐々木 そうなんです。福井市から鯖江市にまたがって眼鏡の生産地になっていきました。
各農家で眼鏡づくりの工程を分担してひとつの眼鏡に組み立てていった。地域に根付かせるために、仲間内で競争していいものを製造していく仕組みも考えたそうなんです。それがどんどん広まって、この土地の中で磨かれて技術力が向上していった。そこからやがて、軽くて堅くて金属アレルギーを起こしにくいチタン製品なども開発されていきました。
クレイ もともとこの地にあった人的リソースをどのように活用するか。増永さんはそこに眼鏡づくりを持ち込んだんですね。
佐々木 素晴らしい先人がいて、いまの鯖江があるんです。
クレイ 「めがねのまちさばえ」として全国で知られるようになってから、まだそれほどの時間は経っていないですよね。
佐々木 普段、眼鏡を使わない人、特に若い年齢層にまで広く知られるようになったのはこの10年ほどだと思います。
2008年、「東京ガールズコレクション(TGC)」を企画・制作しているW TOKYOさんと牧野百男前市長にご縁ができたんです。ここで20代の女性に大きな影響力をもつアパレルブランドと共同で眼鏡を開発しました。この取り組みがメディアでも大きく取り上げられて一気にブランド化が進んだと思います。
それまでの「眼鏡=真面目・勉強」というイメージから、ファッションへと繋げることに成功したと思います。
クレイ たしかに、今ではファッションアイテムとして眼鏡は当たり前になりましたね。
佐々木 そこから鯖江の名が広まるチャンスをいただいたと思っています。