パルバース氏と坂本氏との親交は「戦メリ」クランクアップ後も続き、2016年公開の自身監督の映画「STAR SAND-星砂物語-」の主題曲も坂本龍一氏が作曲している。
ロジャー・パルバース氏に以下、メモワールをご寄稿いただいた(原文は英語、翻訳は編集部)。
「天才的」だったキャスティング
「監督の仕事は、75パーセントがキャスティングだ」大島渚は映画『戦場のメリークリスマス』の撮影初日前夜に私に言った。
私たちはラロトンガ島のホテルの広いダイニングルームにいた。そこには主要なキャストとスタッフに加え、多数のエキストラたち、そして残忍な捕虜収容所の看守役を演じる日本人役者が、捕虜役の(ニュージーランドで見つけることができた中で最も痩身の)若者たちとあいまみれて座っていた。私はそこで大島監督に映画監督の仕事はどんなものか、と尋ねたのである。
私は言った。「ぼくの場合、キャスティングは、おそらく100%になるだろう」
『戦場のメリークリスマス』での大島のキャスティングはまさに天才的なものだった。京都大学で演劇活動を行なっていた頃から、日本の俳優の多くが見せるクサくて大げさな演技を嫌い、全くの素人や、演劇以外の分野のクリエーターたちを好むようになっていた。
大島が選んだのは、若いながらすでに大変な人気を博していた音楽家の坂本龍一と、当時ミュージックシーンのアイコン的存在であったデヴィッド・ボウイ(いや、ボウイの方から、彼が長年敬愛してきた大島監督を選んだ、というのが真相かもしれない)、そしてコメディアンで、後に本名の北野武として自らも映画監督を務めるようになるビートたけしであった。
ラロトンガ島海岸の握手
1982年8月の第2週、私は太平洋の真ん中、南回帰線の少し北に位置するクック諸島の主島、ラロトンガ島の海岸にデヴィッド・ボウイと一緒に立っていた。そこに、デヴィッドより少し遅れて日本から到着した坂本龍一が歩み寄る。私は龍一とは、2カ月前の東京での衣装合わせで会っていた。大島のアシスタント兼通訳である私の仕事は、2人を紹介することだった。デヴィッドが龍一に手を差し出した。