マネジメントのかたちは様々ですが、なかにはガッチリ管理をしながらイメージを作り上げていく方法もあると思います。LDHはその逆で、個人に任せているということですか?
HIRO たとえば自治体のPRのお手伝いをする観光大使や広報大使といったお仕事がありますよね。LDHでは、まだ新人だったとしてもお話をいただいたときに本人がやりたいと思えば「どんどんやりなよ」という感じで任せることにしています。もちろん、ブランディングがしっかりしていて「自分はまだそういうタイミングじゃない」と思えば見送ることもあるかと思います。
いま僕はEXILE TRIBE(EXILEをはじめとする関連グループの総称)に責任者として携わっていますが、各グループにもそれぞれチームを管理してくれるマネージャーが付いています。
メンバーの中で俳優などアーティスト活動以外の活動をしたい子がいるなら、その決断は本人やマネージャーに任せることにしています。僕がアドバイスをするとしても、それは人としてのルールは外さないように、というような基本的なことくらいです。派手な世界なので、ときには調子に乗って道を間違えかけてしまう子もいますので、そこは常に気にかけています。
最終的には彼らの人生ですから、自分のブランドをどう高めていくか、後悔のないようにやってもらいたいんです。
クレイ そこにLDHの面白さがあって、「スモール・ジャイアンツ」の要素があると感じました。
エンタメの世界は常に新しいものが求められていて、だからこそアーティストは壁にぶつかり行き詰まると思うんです。人によってはそこでセカンド・キャリアを考えることもある。でも個人にブランディングを任せておけば、音楽やダンス以外の、別のジャンルへアクセスする扉を自分で開くことができる。そのサポートを自然なかたちでしているんじゃないでしょうか。
HIRO アーティストといっても普通の人間です。夢や活動は経験や年齢とともに変わっていくんですよね。20代と40代では全然違いますから。
自分はこの先、何で食べていくのか。人気のあるうちにセカンド・キャリアを意識して準備しておいた方がいいということは伝えています。
なので現在はEXILEメンバーの中でも年長者である橘ケンチは、日本酒を極めながら地方創生に取り組み、また、作家デビューを果たすなどしています。同じくTETSUYAは大学院で勉強し、いまではEXPG高等学院の学長を担う傍らで、コーヒーショップ「AMAZING COFFEE」をプロデュースするなど、セカンド・キャリアのために切磋琢磨しています。他のEXILEメンバーもしっかりと未来を見据えたプランを持っていると思います。
僕のように後輩グループを作ってアーティストのプロデュースをする道だってあるわけです。
クレイ いろんな自治体の方と話をしていると、土地土地には隠れた宝物がたくさん眠っていることに驚きます。自治体の観光大使をやることは、普段とは違う人やものに触れることにもなって、実はアーティスト活動のその先に繋がることもあるんですよね。
HIRO コロナ禍で感じたのは、我々エンタメの世界は、一般の方からは「芸能界」というある種、世間から隔絶した特殊な世界のように見られている、ということでした。この3年間、様々な業種の方とお話する機会が多く、そういうなかで自分たちが身を置く世界を客観視することにもなりました。
この業界は自分を育ててくれた場所ですから誇りにも思うし恩人も沢山います。でも自分はその枠に収まることなくエンタメを追求してきたし、クローズされたイメージをそうでないものにしていきたいんですよね。
影響力のある仕事ですから、社会に向けて何かをすれば、それは自分たちにも返ってくる。他の会社の人と想いを共有しながら一緒に何かを創り上げていって、日本中が元気になるといいなと思っています。
クレイ LDHのこれからの活動を、目を離さずに見ていきたいと思います。今日はありがとうございました。
エグザイル ヒロ/1969年生まれ。1990年にZOOのメンバーとしてデビュー。1999年にJ SOUL BROTHERSを結成し、2001年EXILEと改名して再始動。パフォーマー兼リーダーとしてEXILEを国民的グループに押し上げる。2013年にパフォーマーを勇退。現在、LDH WORLDのチーフ・クリエイティブ・オフィサーとしてクリエイティブを統括し、世界の拠点と連携しエンターテインメント創造に力を注いでいる。
クレイ勇輝/実業家。2005年、神奈川県の逗子海岸で海の家ライブハウス音霊 OTODAMASEA STUDIOを発足し、音楽ユニット「キマグレン」結成。2008年、NHK紅白歌合戦に出場。今も実業家として様々な分野で活動している。