富士そばと東南アジア
筆者が日本のものの値段、つまり物価の変遷を語るのに、いつも引用する例が「富士そば」である。私が好きなかき揚げそばは、2007年の渡米後16年経った今も(体感であるが)100円ぐらいしか値上がりしていない。しかし、物の値段が上がっていないということは、人に払われる賃金もそれなりにしか上がっていないということである。続いて、70年代から80年代に、母親が行っていた東南アジアへの旅行。帰って来るたびに、桁外れに安い食事代、お土産の値段、ツアー全体のコストの安さ等を聞かされていた。ここ最近は使う言葉ではないが、「発展途上国」では物価の安さと比例して、人々の暮らしも豊かではないという話を母とし合った記憶も鮮明に残っている。
2023年、(日本以外は)コロナもどこ吹く風の今、それらの国の人達が、数十年前の私の母のように「日本は安い!」といって日本へやってきては、こんなにクオリティの高い食事がどうしてこんなに安いのか? と疑問を抱きながら富士そばから出てくるのである。
世界での存在感、相手にしている経済圏の広さ、安全性、すべてが先進国の中でもトップクラスなのに、物価だけ安い、つまり賃金が安い。外から見ている私にとっては、まるで日本という国やそこで暮らす国民の価値が低いと言われているようで、癪に障るのである。