映画

2023.03.30 18:00

映画「生きる LIVING」カズオ・イシグロが黒澤明の名作に新たな息吹をもたらす

(c)Number 9 Films Living Limited

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今年の第95回アカデミー賞のレッドカーペット(今回はシャンパンカラーのカーペットだったが)を、少し異色の人物が歩いていた。イギリスのノーベル賞作家カズオ・イシグロだ。

カズオ・イシグロは1954年に長崎県で生まれ、5歳のときにイギリスへ渡り、以後、日本人の両親とともに彼の地で暮らす。1983年にイギリスへ帰化し、1989年に「日の名残り」で、英語圏で最も権威のある文学賞ブッカー賞を受賞、作家として世界的名声を得ている。

2005年には、日本でもその後テレビドラマ化される「私を離さないで」を発表。2017年にノーベル文学賞を受賞している。

そのイシグロが、文学とは畑違いのアカデミー賞の授賞式に臨んだのは、自身が脚本を担当したイギリス映画「生きる LIVING」(オリヴァー・ハーマナス監督)が、脚色賞(原作を持つ脚本が対象)にノミネートされていたからだ。

イシグロが見た印象深い記憶

「生きる LIVING」の原作は、1952年に日本で公開された黒澤明監督の映画「生きる」。イシグロは子どもの頃にイギリスのテレビ放送でこの作品を観ていて、衝撃を受けたのだという。

「私は常にこの映画のメッセージに影響を受けて生きてきたと思います」と語るイシグロだが、ある夜、映画のプロデューサーと食事をしているときにこの作品のことが話題にのぼり、そこから再映画化の話に発展したのだという。

プロデューサーから脚本を担当しないかと持ちかけられたイシグロだったが、当初は、脚本は苦手だと固辞したという。しかし、もともと黒澤明や小津安二郎などの日本映画のファンだったという彼は、舞台を第二次大戦後のイギリスに移し替えて脚本を執筆、原作の「生きる」に新たな息吹を与えることに成功している。

1953年のイギリス、同じスーツに身を包み同じ山高帽を被った英国紳士たちが列車に乗ってロンドンへと通勤する場面から物語は始まる。このプロローグは小学生の頃にイシグロが見た印象深い記憶に由来するものだという。もちろん元の「生きる」には同様のシーンは登場しない。

(c)Number 9 Films Living Limited

公務員のウィリアムズ(ビル・ナイ)は、今日も同じ列車の同じ車両に乗り役所へと通勤する。市民課に勤める彼は、部下からは少し距離を置かれており、とはいえ仕事は黙々とこなしている。妻を早くに亡くし、息子夫婦と同居はしているが、家でも孤独感に苛まれていた。

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そんなウィリアムズは、ある日、医師から癌であると宣告され、余命半年であることを知り、これまでの人生を見つめ直し始める。仕事を休み、海辺のリゾートに出かけ酒を飲み、一時の享楽に身を任せようとするが、いっこうに心が癒されることはない。

ロンドンに戻ったウイリアムズは、かつて役所で働いていたマーガレット(エイミー・ルー・ウッド)と再会する。ウィリアムズはマーガレットを食事に誘い、彼女の人生に対して意欲的に生きる姿に触れているうちに、ある決心を固めるのだった……。

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文=稲垣伸寿

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