1台のコンピュータを1000倍大きくするか、それとも、1000分の1にしてそれを1000人の手に渡すか──。
ジョブズはそのときすでに、コリンズが呼ぶところの「ハリネズミの概念」を見つけていたのだ。これは、1. 情熱をもって取り組めるもの、2. 自社が世界一になれるもの、3. 経済的競争力を強化するもの、という3つの自問の答えを円にしたとき、重なる部分こそ注力すべき分野(ハリネズミの唯一の武器であるトゲのような強み)のことだ。
ジョブズが臨時CEOとしてアップルに帰還し、iMacやiPod、iPhoneといったヒットを連発するのはその10年後の話である。
コリンズは言う。
「アップルを追われて傷ついていたに違いない。怒りもあったはずだ。でも、それはどこへ行ったか? すべて、彼のクリエティビティ(創造性)に注ぎ込まれたんだ。決して立ち止まることはなかった。残りは、歴史が証明している」
実は、コリンズが若き起業家たちに伝えたいメッセージは、このジョブズの成長物語に集約されている。それは本来、「起業家のあるべき姿」だ。マイクロソフトにしてもアップルにしても、過去に多くの苦難を経験している。前者は独占禁止法のかどで米司法省に訴えられ、後者は破綻の危機を迎えたほどだ。しかし、いずれにも共通しているのが、創業者たちが会社を育て上げる強い意志をもっていた点である。
コリンズはいま、今日の起業シーンでまことしやかに語られる“危険極まりない神話”の存在、そして当の起業家たちが流されがちな“潮流”について危惧している。それは、「起業家(作る人)と経営者(管理する人)の役割は異なるため、起業家に経営者は務まらない」というものだ。
この見解に対して、コリンズは「誤りだ」と声を荒げて反論する。
「なぜか、起業家は最初の立ち上げ部分だけを手がける特殊な生き物と思われていて、経営がある程度軌道に乗り始めるや、『はい、ご苦労さま』と追い出される。これは大間違いだよ! 実際、会社をスケールさせた経営者の多くは起業家だった。ベゾス然り、ゲイツ然り、本田宗一郎然り。彼らは会社の成長と共に経営者に育ったんだ。確かに、それぞれスタイルも気質も異なるかもしれない。それでも、時と共に成長する。起業家と経営者であることは両立する」
これは、コリンズが掲げる「ANDの才能」と呼ばれるコンセプトに当たる。偉大な会社を築く経営者は、AかBかの二者択一を迫られる「ORの抑圧」を拒絶し、「ANDの才能」を生かそうとする。一見不可能と思われる、創造性と規律、自由と責任、理念と利益、短期目標と長期目標などの両立を同時に追求する。