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2023.03.25

ベトナム移民が掴んだアメリカンドリーム、ホットソース「シラチャ」の歴史

(C)Huy Fong

1978年12月、当時33歳だったデイビッド・トランは、100オンス(約2.8キロ)の金塊を持って母国のベトナムから旅立った。当時の価値で2万ドル、現在の価値で約9万ドル(約1200万円)相当の金塊を、共産主義の当局の目から逃れるために、コンデンスミルクの缶の中に忍ばせた。家族とともに貨物船で香港に渡り、8ヵ月間を難民キャンプで過ごした後、ボストンに到着し、6カ月後にロサンゼルスに落ち着いた。

ロサンゼルスでその金塊を売って、チャイナタウンの約230平方メートルのビルを購入した。そして、自分が乗った貨物船の名前にちなんで「Huy Fong(ホイフォン)」と名づけた会社を設立し、タイの町シーラーチャーに由来するホットソースの「シラチャ」を作り始めた。

それから40年以上が経った今、雄鶏のロゴでおなじみのシラチャソースは、市場調査会社NPD Groupによると、米国の10分の1の家庭に置かれている。年間売上高が15億ドルのホットソース市場で、ホイフォンが製造するシラチャはタバスコやFrank's RedHotに次ぐ3位のブランドだ。

調査会社IBISWorldは、2020年の売上高が推定1億3100万ドルのホイフォンの企業価値を10億ドルと試算した。つまり、同社の全株式を所有する現在77歳のトランは、全米で唯一のホットソースのビリオネアということになる。近年は、シラチャの競合他社がいくつか買収されているが、彼は会社を売るつもりは一切ない。トランは、このビジネスを2人の子どもに引き継ぐつもりだ。

シラチャは1980年代初頭から、宣伝費を一切かけず、卸売価格を引き上げずに巨大企業に成長した。同社はまた、工場から出る臭いをめぐる訴訟や、最近では昨年春の気候変動による唐辛子不足などの苦境を耐え抜いてきた。

「私は、クオリティが高く、よりスパイシーな製品を作り続けていきたい。利益のことはあまり考えていない」とトランはフォーブスに語った。

ベトナム戦争に従軍後、渡米

トランのこれまでの人生は、長い道のりだった。フランスの植民地支配下にあったベトナム南部の都市ソクチャンで1945年に生まれた彼は、商人の父と専業主婦の母親の下で、9人兄妹の一員として育ち、高校を卒業後に南ベトナムの軍隊に徴兵された。

しかし、戦場に送られることはなく、主に調理師として働いた。北ベトナムがサイゴンを占領し、戦争に勝利した1975年に兵役を解かれると、トランは妻のエイダとともに、サイゴンの北東にある町で唐辛子を栽培する兄の仕事を手伝うようになった。

その時、思い立ったのがホットソースの製造だった。軍のコックとしてチリソースを作っていたトランは、市販されているソースのクオリティに物足りなさを感じていた。そこで、新鮮な唐辛子を使って、フレッシュでスパイシーなホットソースを作ることにしたのだ。

「唐辛子の値段は大きく上下するため、価格を低く抑えたホットソースを作れば、不安定な市場でも需要を確保できると考えた」とトランは語る。
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編集=上田裕資

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