なぜ日本でラグジュアリーが育たないのか、という問いの限界

高級ブランド店や宝飾店が立ち並ぶパリのヴァンドーム広場(Getty Images)

中野さんの原稿を読み、『新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済 10の講義』(以下、『新・ラグジュアリー』)をもっと売らねばと思いました(笑)。

中野さんも最後に書かれていますが、山田美樹さんの多くの発言が旧型ラグジュアリーの枠組みで語られているという印象を受けたからです。そこで、以下、いくつか気になった点を取り上げてみます。ただし、山田さんの言葉の一部を切り取り、ぼくが過剰反応している可能性もあります。仮にそうだった場合は、寛容に受け止めていただきたいです。

まず一つ目が、「そもそもラグジュアリーの定義が日本できちんとできてないことが問題です」という部分。2つの点を指摘したいです。

2015年頃を境にして、それ以降、かつての「ラグジュアリーの定義らしきもの」はもはや意味をなさず、世界のさまざまな場所で新しいラグジュアリーのあり方を議論していることを報告したのが『新・ラグジュアリー』です。今、問われているのは定義ではありません。ラグジュアリーについてどれだけ議論できる土壌があるか、です。

そもそも何をもってラグジュアリーとするかが曖昧であること自体にラグジュアリーの特徴があります。そして、長きに渡り、ラグジュアリーの意味は常に変化してきました。「定義らしきもの」と上述したのは、フランスで語られるラグジュアリーが特に日本では唯一のものとして参照され過ぎるきらいがあるからです。

フランスのラグジュアリーとイタリアや英国のそれが異なるように、それぞれの文化圏でラグジュアリーの考え方や認知に差異がある。その延長線上に、西ヨーロッパを中心とした従来のラグジュアリー文化圏とは異なる地域(例えば、東ヨーロッパ、インド、中国)でも現在、ラグジュアリー戦略が練られ、さまざまなビジネスがはじまっている現象があります。

連載9回目で取り上げたハンガリーのブランド「Nanushka」のデザイナーサンドラ・サンダー氏(右)と夫でCEOのピーター・バルダスティ氏 (c) Getty Images

連載9回目で取り上げたハンガリーのブランド「Nanushka」のデザイナーサンドラ・サンダー氏(右)と夫でCEOのピーター・バルダスティ氏 (c) Getty Images


したがって、世界各地で進行中のラグジュアリーの新しい方向に関する議論に参加することが先決です。山田さんの「定義を明らかにし、どういう基準を満たした人や企業が集まるのか、そこを考えるところから」もさることながら、「どうやってコミュニティを作るかということですよね」という発言の方が鍵なのです。

ここでのコミュニティとは、日本だけに閉じないコミュニティのあり方を指してしかるべきです。そのうえで必要があれば、日本の企業や関係者の集まりが発想されるのが順序だと思います。この土壌なしにカタチを優先して組織を作ろうとするから、過去、上手くいかなかったのでしょう。
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文=中野香織(前半)、安西洋之(後半)

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