今回は世界自然保護基金ジャパン(WWFジャパン)自然保護室長の山岸尚之、同室金融グループ長の橋本務太をゲストに迎え、サステナビリティ推進室の小松みのり室長、運用本部責任投資グループでESGアナリストを務める池畑勇紀が語り合う。市民生活や事業活動の基盤である生態系に訪れる多様性毀損の危機、そしてネイチャーポジティブを目指すロードマップとは。
生物多様性を取り戻せ──2030年ネイチャーポジティブへの道筋
小松 みのり(以下、小松):私たちのサステナビリティ活動の一環で勉強会を重ね、多くの示唆をいただいてきたWWFジャパンのお二人にお越しいただきました。まずフォーカスしたいのは、2022年12月、カナダのモントリオールで開催された生物多様性条約の第15回締約国会議(COP15)です。経済界がこの会議に注目したのは、カーボンニュートラルの次の経営課題とされるネイチャーポジティブに向けた目標が国際的に合意されるかどうかが焦点になったからでした。ここで、政府や企業、NGOの関係者の間でネイチャーポジティブがホットワードになりましたね。自然の生態系の損失をストップするところから一歩踏み込み、回復軌道に戻していくという考え方です。私たちも、フォーカスエリアの一つとして生物多様性を定めていたことから、注目していました。山岸 尚之(以下、山岸):ネイチャーポジティブの重要性を説明するには、生物多様性からお話しなければなりません。これは「複雑で多種多様な生態系」そのものを示す言葉ですが、自然環境の悪化に伴い、この多様性が、かつてないスピードで失われています。WWFが発行する「生きている地球レポート(Living Planet Report)2022」では、生物の多様性を示す「生きている地球指数(LPI: Living Planet Index)」という指数を掲載しています。この指数は、1970年から2018年の間に約69%も低下しました。自然界ではこのような危機が起きており、私たちの社会にも無視できない影響を及ぼし始めているのです。
小松:WWFが発表したこの数字には大きな衝撃をうけました。約50年間で69%減少しているというグラフを視覚的に示された時、私たちの営みが与えてきた影響の大きさと同時に、果たしてこの減少を止めることができるのだろうか――そのような焦燥感を覚えたことを記憶しています。
山岸:その通りです。一刻も早く取り組まなければならない、喫緊の課題です。ネイチャーポジティブとは、この生態系の毀損、ネガティブをポジティブな方向へと転換させ、プラスに転じるとことを表します。COP15でも、ネイチャーポジティブの達成に向けた目標が採択されました。2030年までに回復の軌道に乗せ、ネイチャーポジティブを目指すことが議論され、国際的な誓いとなったのです。
橋本 務太(以下、橋本):自然が毀損され生物多様性が失われると、社会やビジネスの基盤となる生態系を危機に追いやり、経済的な損失にもつながります。私たちがあたりまえにあると考えている空気、水、太陽の光、海洋資源といったものは「自然資本」と呼ばれる自然からのサービスです。生物多様性を失うことは自然資本を生み出す循環の健全さを失うことにつながり、私たちの経済活動のリスクになる。そのことに企業が気づき始めたということでしょう。世界経済フォーラムは、実に約44兆ドル(約6000兆円)もの価値創出が自然資本とそのサービスに依存していると指摘しました。経済価値に換算すると、世界のGDPの半分に及びます。私たちの社会はこれほど自然に依拠しているのです。
池畑 勇紀(以下、池畑):投資家の視点でも、自然資本を守っていかなければならないことは自明です。依存や影響といった投資先企業の自然関連リスクを把握し、ネイチャーポジティブの実現と企業価値向上の両立に向けて、自然を回復・増加させる事業機会についての対話を重ねていくことこそ、資産運用会社の役割だと考えています。
COP15のグローバル合意で進む、環境保全への連帯
小松:COP15では、生物多様性に関する新たな枠組み「昆明・モントリオール生物多様性枠組」が採択されました。そこで定められたのが、ネイチャーポジティブの達成に向けた「2030年までのターゲット(行動目標)」です。経済界は、目標15「ビジネスにおける生物多様性への影響評価、情報開示の促進を行う」に注目しました。生物多様性に関連するリスクと依存度と影響をきちんと開示すべき、というものですね。山岸:COP15に向けて、経済界からは「目標15を義務化しよう」という声が国際的にあがりました。まだ一部から上がった声にすぎませんが、時代の潮目を感じたのも確かです。グローバルの合意を振り返れば、2020年までに生物多様性保全を目指した「愛知目標」があったのです。しかし、経済界を巻き込んだ動きにつながることはなかった。しかし、COP15を巡る経済界の動向を見ていると、生物多様性への警鐘が企業側にも少しずつ届いているのではないか、という手応えがあります。これは、森林、海洋、淡水などの生態系の危機に取り組んでいるWWFジャパンの現場にとっても感慨深いことです。
橋本:私はかつて森林保全の担当として、インドネシアなどの熱帯林を歩いてきました。そこで見たのがアブラヤシ。その実から絞り採れるのがパーム油です。この油は汎用性が高く、パンや、ポテトチップス、カップ麺など数多くの加工食品に使われているほか、食器・洗濯・掃除用の洗剤やシャンプーにも使用され、石けんには主成分として含まれています。世界中で幅広く利用される一方、その生産に伴うアブラヤシ農園の開発は、東南アジアの熱帯林破壊をもたらす主因として指摘されてきました。パーム油の原料となるアブラヤシを栽培するために、地球で最も生物多様性の豊かな熱帯林が大規模に伐り開かれ、アブラヤシ農園に姿を変えているのです。
小松:熱帯林の破壊は生物多様性の毀損につながるだけではありませんね。気候変動への影響はもちろん、農園での劣悪な労働環境など、社会課題を考える上でも見逃せない現場だと感じました。
橋本:私たちが焦点を当てているのは、森林破壊を引き起こさず、環境や地域社会に配慮した「持続可能なパーム油」の生産を広げることです。まずWWFジャパンは、生産国での持続可能な生産を普及するとともに、消費国である日本に働きかけトレーサビリティの確保に力を入れています。つまり、パーム油が環境や社会に配慮してつくられたものかどうかを把握するということです。しかし日本企業がパーム油の生産やアブラヤシ栽培の現状を調べてみても、サプライチェーンの上流を正確に知ることは難しく、多くの場合は加工工場にまでしかたどり着けてないのが現状です。小規模農家がどのようにアブラヤシを育てているかまではつかみづらい。
ここに、「場所」に大きく依存するという生物多様性特有の問題があります。CO2は世界中のどこで減らしても基本的には同じですが、樹木や水は場所によって損失による影響度がまったく異なります。それだけにトレーサビリティが非常に重要なのです。技術的な課題もありますが、「自分たちが使っているものがどこから来ているのか、それが生物や働く人を犠牲にしていないかを知りたい」――そんな市民の声もトレーサビリティの活動を後押しする力になります。
「持続可能なパーム油」を認証するRSPOマーク
環境や地域社会に配慮したパーム油を使用している商品の国際認定制度としてRSPO認証システムがある。普段の生活の中でRSPOマークのついた商品を選ぶことが「持続可能なパーム油」の生産を支え、ひいては熱帯林を守ることにもつながる。
池畑:パーム油に限らず、大豆やカカオ、水産品など、トレーサビリティを確保すべきコモディティは数多くあると思いますが、正確な原産地までは把握しにくいのが現状です。このような中で、国際的な認証制度の活用は、自然や人権に関連するリスクを削減する有効な手段の一つであり、投資先企業にはこのような認証品による調達比率の引き上げとその取り組みの消費者への積極的なアピールを促しています。
投資の力で未来をはぐくむために、ポジティブな自然のあり方を描いていく
池畑:投資先企業が持続的な事業活動を営むうえでは、自然資本に関連すると事業機会を体系的に把握し、情報開示を進めることが必須になっていきます。そこで注目されているのが、TNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)です。これはグローバルの投資家や企業が参画して構築が進められている情報開示のフレームワークで、企業が自然資本を「自分ごと化」して考えるためのファーストステップになるものです。橋本:生物多様性を自分ごと化すること、つまりネイチャーポジティブを腹落ちするためには、TNFDは確かに起点になり得るでしょう。良いかたちで投資家の影響力を発揮していただければと期待しています。また、これは消費者の声もとても重要です。BtoCのビジネスでは、消費者の要望、声が企業の行動変容の最大の動機になりますからね。どの企業にとっても消費者の声、そして投資家の声はプライオリティが高いものです。
小松:私たちが今年、当社職員のほとんどが属する労働組合と対話を進めた際に印象深いことがありました。気候変動問題やウェルビーイング、人権問題と並び、生物多様性の危機について、思ったよりも関心が高かったのです。
池畑:理由を聞いたところ、それは私たちの生活に密着し、自分ごととして取り組めるテーマだから、というものでした。パーム油のように、自分たちが身近に使っているものが自然の恩恵である――山岸さんが指摘された関係性を、市民も意識し始めている証左です。自然により良いものを選択するよう、購買行動を少しずつ変えていく。こうした小さな積み重ねがネイチャーポジティブにつながっていくのではないでしょうか。
山岸:TNFDは2023年9月に最終報告書が出る予定ですが、COP15で掲げられた2030年ミッションまで、時間は刻一刻と過ぎていきます。生態系を経済価値に換算するという話が出ましたが、すでに絶滅した種は経済価値に換算できません。失われた生態系を回復するのも100%は不可能です。投資家が「生物多様性を毀損する事業への投資は避けたい」と少しでも早くメッセージすることが、生態系の回復、つまりネイチャーポジティブを一歩でも進める大きな力になります。
橋本:そうですね、サプライチェーンというモノの流れとお金の両輪を回すことで、流れを加速させたい。COP15の目標19には「あらゆる資金源から年間2000億ドルの資金を動員する」と掲げられています。これは民間の資金がなければ到底回せないことは明白です。投資家がどう貢献していただけるのか、期待が高まっています。
小松:「投資の力で未来をはぐくむ」――私たちがサステナビリティ活動を進めるとき、いつもこのメッセージに立ち返ります。WWFジャパンの皆さんとは、これからもクリティカルフレンド、つまり時には厳しいことも指摘してくれる友人として適切な緊張感を持って意見を交換し、生物多様性と環境破壊を考える上で示唆をいただきたいと考えています。そして、インベストメントチェーンの中で投資先企業やアセットオーナーの皆さま、関係当局、アカデミック、WWFジャパンの皆さんのようなNGOの皆さんとも共に課題に向き合い、それぞれが各領域で本分を果たすことが大切だと思っています。その先に、自然との共生を目指す、ネイチャーポジティブへの道筋が描けるはずです。本日はありがとうございました。
山岸尚之◎WWFジャパン 自然保護室長。立命館大学国際関係学部に在学時の1997年、京都で開催されたCOP3(国連気候変動枠組条約第3回締約国会議)に刺激を受け、気候変動問題を巡る国際政治に関心を持つ。同大学を卒業後、米国のボストン大学大学院で国際関係論・環境政策の修士プログラムに入学し、修士号を取得。同大学院を卒業後、WWFジャパンに入局。2020年より現職。
橋本務太◎WWFジャパン 自然保護室金融グループ長。国際基督教大学国際関係学科を卒業後、英国ノッティンガム大学で環境マネジメント専攻の修士課程を修了。環境コンサルタントなどを経て、2004年にWWFジャパンに入局。森林担当として、企業の森林資源調達における森林生態系・社会配慮の普及、海外森林プロジェクトの設計・管理、新規アクティビティ立ち上げなどを担当。2021年より現職。
小松みのり◎アセットマネジメントOne 執行役員 サステナビリティ推進室長。大手損害保険会社、コンサルティングファームで人材開発、人事課題の解決に取り組み、キャリアを積む。2012年、DIAMアセットマネジメント(現アセットマネジメントOne)に入社。人事シニアマネジャーを経て人事責任者に。2020年に創設されたサステナビリティ推進室長に就任し、全社横断のサステナビリティ・トランスフォーメーションを推進している。
池畑勇紀◎アセットマネジメントOne 運用本部 責任投資グループ ESGアナリスト。国内金融機関にて株式・債券のアナリストやファンド運用などの業務に従事ののち、2017年7月よりアセットマネジメントOneで外国株式運用を担当。2018年9月より現職。投資先企業とのエンゲージメント業務や海外イニシアティブとの連携等に従事。
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