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2023.03.24 16:00

エーザイが挑む新たな新薬開発アプローチとは 未来をひも解く「DHBL創薬体制」を見に行く

エーザイの創薬体制は認知症治療薬をはじめ幾つもの実績を築いてきたことで知られている。しかし、これをあえて解体し再構築したという。2022年10月から稼働したDHBL(Deep Human Biology Learning)体制だ。なぜエーザイは改組に踏み切ったのか。


以前は患者の処方薬を決定する医師をメインの「顧客」と考える製薬会社が一般的だった。しかし、エーザイはかなり早い時期から、「ヒューマン・ヘルスケア(hhc)」を企業理念に掲げ、それに対峙する姿勢をとっていた。彼らは世界中の患者と生活者こそ、第一義に向かい合うべき「顧客」であり、苦痛や苦難を共有し、癒やし、健康を喜び合う、患者と生活者のベネフィット向上こそ企業としての使命と考えた。その理念は同社のESG経営の基幹となり、長期投資家たちからも評価されている。

そして、hhc理念は、創薬研究者たちの新薬開発のモチベーションにもなっている。アルツハイマー病や難治性がんなど、未だ治癒や予防につながる治療方法が乏しい病に苦しむ「顧客」のために、エーザイは困難な創薬活動に挑み続け、画期的な新薬を上市してきた歴史がある。創薬研究者が抱く「顧客に希望を与える」使命感を支えているのもhhc理念だ。それが同社の「イノベーション」の源泉となり「一見不可能事に挑戦する」というエーザイの社風を醸成した。

製薬会社は大きくふたつのタイプに分けられる。ひとつは特許切れの医薬品を製造販売するジェネリック医薬品企業。もうひとつは、エーザイのように、研究者の創薬仮説に基づき検証を重ね、ゼロから新薬を創出するイノベーター企業だ。後者の場合、新薬の研究開発には長い年月とコストが必要で、何より研究者の膨大な試行錯誤の労苦と、それにひるまぬ創薬イノベーターとしての誇りが求められる。何千何万もの選択肢からたったひとつの「薬」を探求する気が遠くなるプロセスだが、その発見が世界を大きく動かし、多くの人生を変える可能性を秘めている。2022年秋に世界中の多くの人々に希望をもたらした、エーザイと米バイオジェン社による新たなアルツハイマー病薬のフェーズ3試験の成功とその後の米国での迅速承認取得は記憶に新しい。

合理的な創薬体制をあえて解体する

エーザイは、アルツハイマー病などの神経変性疾患と難治性がんの疾患分野における創薬に挑戦し続けている企業だ。同社は16年にこのふたつを戦略的領域と位置づけ「ニューロロジービジネスグループ」と「オンコロジービジネスグループ」のビジネスグループ体制を構築。両領域に特化した探索研究、臨床研究、マーケティングを一元管理する「選択と集中」型の組織体制に改編した。この一見、合理的な体制をエーザイはあえて解体する。同社は22年7月に「ニューロロジー」と「オンコロジー」の壁を取り払った新研究開発体制DHBL(DeepHuman Biology Learning)を発表し、ステークホルダーや業界の注目を集めた。

DHBL体制では人々が健康な一生を送るための生物学的要件を厳選し、5つの創薬研究軸(ドメイン)を新設した。そして、各ドメインが創薬仮説立案から承認取得までの責任を担うことになる。この5つのドメインに加え、創薬の技術革新を機敏に取り入れながら、ヒューマンバイオロジーデータを駆使して創薬研究を支える5つの機能軸(ファンデーション、3つのファンクション、フルフィルメント)を設定した。さらに、DHBL創薬体制の最高責任者チーフサイエンティフィックオフィサー(CSCO)と、DHBL創薬全体を俯瞰したポートフォリオ戦略とプロジェクト推進を行うチーフポートフォリオオフィサー(CPOO)を新たに任命した。

なぜ改組が必要だったのか。5つのドメインのひとつ、Cell Lineage & Differentiationドメインのコ・ヘッドを務める横井晃はこう語る。

「ビジネスグループの創薬体制では、それぞれのグループで、探索研究、臨床研究から販売まで確かに最適化されていた。しかし創薬の新たな手法が見直されるなか、サイロ化しフレキシブルな技術交流が滞りがちな現状に危機感を抱く研究者は少なくなかった」

横井 晃◎エーザイ Cell Lineage & Differentiationドメイン コ・ヘッド

横井晃◎エーザイ Cell Lineage & Differentiationドメイン コ・ヘッド


オンコロジービジネスグループのオンコロジー筑波研究部部長を務めていた横井は、約2年前に5年先、10年先を見据えたエーザイの中期計画作成に参画。引き続き、その計画を具現化するためのタスクフォースに加わったひとりだった。ニューロロジービジネスグループ メディスンクリエーション ディスカバリーニューロロジー筑波研究部部長を務めていた寺内太朗は、DHBL体制発足と同時に、Protein Integrity & Homeostasisドメインのヘッドに着任した。前述のタスクフォースの議論では「疾病領域は違ってもR&D (Research &Development)として共通する技術基盤はあるし、境界領域の研究など組織横断で検討すべきことは参加した誰もが認識していた」と横井と同じ考えを抱いていた。加えて、「アルツハイマー病の創薬開発には(ほかの創薬でも同様だが)ヒューマンバイオロジー、つまり疾病発症や進行の原因となる生体内のバイオロジカルな変化をどこまで『深く』理解できるかが重要だ。ヒトの臨床データから基礎研究へのリバーストランスレーションがキーになる」と寺内。これをどう組織に落とし込むか。

hhc理念に基づく「創薬の挑戦」の副産物ともいえる、臨床研究現場で得られた膨大なデータ。これらを解析し研究者にフィードバックするデータドリブン型創薬のループを回す効率的な仕組みづくり。そして、「ニューロロジー」と「オンコロジー」のふたつの領域に二分化され、それぞれが深化していたエーザイの創薬力を解体・再構築して統合したひとつのR&D体制の確立。これらが新組織のグランドデザインとなる。どの製薬企業でも可能な改組ではない。独自の強みをもつ製薬会社、エーザイだからこそ実現できた新体制が、DHBLだったといえるだろう。

エーザイにしかできない創薬体制とは何か

新体制稼働から約半年が過ぎ、研究者はどのような変化を感じているのか。

「5つのドメインのヘッドと5つの機能グループのヘッドが集まる会議を定期的に行っている。疾病領域を問わずに議論することは大きな変化だ。それぞれ
の経験や知見が共有できる場になっている。こうした活発な議論を通じて、各プロジェクトの全社的な優先順位やポートフォリオ戦略も定まりつつある」と横井は言う。

一方、寺内は次のように語る。

「ビジネスグループ体制時は創薬に必要な機能が組織内に整備され、課題もグループ内で解決してきた。DHBLのドメインでは、プロジェクト推進に必要なミニマムなメンバーだけがドメインにアサインされ、彼らの専門性だけでは解決できない課題に対しては、機能グループとの協働が必須になる。これまでの研究スタイルから変わる必要性をメンバーも認識しつつある」

寺 内 太 朗 ◎エーザイ Protein Integrity & Homeostasisドメイ ン ヘッド

寺内太朗◎エーザイ Protein Integrity & Homeostasisドメイン ヘッド


新設のCPOOに着任した中濱明子は、こうした研究者の変化に対して、「トップダウンで完結するビジネスグループ体制に比べ、現在はドメイン内だけでは完結しない組織になった。その不完結さゆえにコミュニケーションの大切さが浮き彫りになる。ふたつのビジネスグループのふたつのR&Dのサイロ化を解決するには劇的な変化が必要だった」と言う。

CPOOの中濱は、DHBL創薬全体を俯瞰したポートフォリオ戦略、優先順位付け、経営資源配分の最適化を担っている。

新薬開発は「探索研究」「開発研究」「臨床研究」の3段階で進む。中濱は入社後しばらく臨床研究を担当し、その後数々のプロジェクトマネジメントに携わってきた。臨床研究に到達するまでの、研究者の膨大な創薬研究を現場で実感してきた中濱は、研究者が感じる「これはいけるのではないか」を大事にするポートフォリオ戦略を重視したいという。

「創薬研究は、経営者から指示されて進むものではない。研究者は何をやりたいのか。その背後にある情熱と使命感を引き出し組織内で調整するのもDHBLのチーフポートフォリオオフィサーの仕事。いまは動き始めた創薬ループをスムーズに回すことに注力したい」

中濱明子◎エーザイチーフポー トフォリオオフィサー、執行役

中濱明子◎エーザイチーフポートフォリオオフィサー、執行役


自分たちの臨床試験で得られたゲノム情報や病態生理学的情報などのヒューマンバイオロジーデータを創薬の種とする。「探索研究」→「開発研究」→「臨床研究」から再び「探索研究」へ。この創薬ループが切れ目なく回り続けるその先には、病気を治療する薬ではなく、ヒトが病気にならないための予防薬開発という究極の目標がある。エーザイは薬の開発にとどまらず、他産業連携と協業を通じて、健康にその人らしく生ききることを支える「病気にならない」仕組み「hhcエコシステム」によるプラットフォーマーを目指す取り組みを18年に発表している。

DHBL創薬体制はそうした未来も見据えて、22年10月に本格的に稼働を始めている。今日、進行中の研究が評価されるのはもしかしたら10年後かもしれない。それでも、患者や生活者に希望を与えるイノベーションのループは回り続け、新しい挑戦は続いていく。


エーザイだからこそ実現できる前人未到の新たな創薬体制に挑む

創薬戦略立案やマイルストーンの審議、エーザイが目指す社会善を実現する新たな創薬体制をリードするチーフサイエンティフィックオフィサー(CSCO)。
DHBL創薬体制の最高責任者であるCSCOに就任した大和隆志に新体制構築の背景を聞いた。

大和隆志◎エーザイ チーフサイエンティフィックオフィサー、常務執行役。1963年生まれ。東京大学大学院薬学系研究科博士課程修了。博士(薬学)。1991年エーザイ入社。1996〜98年ハーバード大学化学・化学生物学科客員博士研究員。オンコロジービジネスググループプレジデントなどを経て、現職

大和隆志◎エーザイ チーフサイエンティフィックオフィサー、常務執行役。1963年生まれ。東京大学大学院薬学系研究科博士課程修了。博士(薬学)。1991年エーザイ入社。1996〜98年ハーバード大学化学・化学生物学科客員博士研究員。オンコロジービジネスググループプレジデントなどを経て、現職


DHBL体制の最大の特徴は、「ヒューマンバイオロジー統合(HBI)ファンデーション」をDHBL全体の上流に新設したことだろう。同組織は、創薬仮説立案の初期ステージで5つのドメインを支援する研究開発機能を担っており、同責任者のジャナ・ハッツは、米国マサチューセッツ州ケンブリッジのG2D2(Eisai Centerfor Genetics Guided DementiaDiscovery)を統轄するヒューマンバイオロジーデータ解析のスペシャリストだ。

エーザイのメディシナルケミストが探索研究と開発研究で試みた膨大な化合物の情報に加え、その臨床試験に参加いただいた被験者様の無数のバイオサンプルに由来する遺伝子やタンパク質などの情報は、HBIで解析され、バイアスのない包括的なデータとして、5つのドメインの探索研究へとフィードバックされる。

ある薬剤の作用が、がん細胞の成長を促進するならネガティブだが、神経細胞の成長を促進するならアルツハイマー病への効果が期待できる。ドメインではそのデータの表裏を複眼的にとらえ、自分たちの強みや創薬戦略にフィットするかを判断する。そこを起点とする創薬プロジェクトはエーザイならではの、まったく新しい開発手法と言っていい。ヒトの体内の生体分子の変化と病状を俯瞰した際、単なる相関関係だけでなく遺伝学的な因果関係をしっかり見極め、そこに厳然として存在するヒューマンバイオロジーデータにフォーカスした創薬プロジェクトを組む。私たちは22年の10月より稼働したDHBL体制で、このデータドリブン型創薬にチャレンジし始めた。10年後のエーザイのパイプラインやポートフォリオは間違いなくDHBL創薬が支えているはずだ。

原点はエーザイのケミストリー力

この新組織をグランドデザインしたのは、次世代のエーザイを担う研究者たちだ。いわゆるライジングスターの精鋭たちである。正直なところ私も初見では戸惑いもあったし、こうした仕組みを回すのは難しいだろうと社外の方々から指摘されたこともあった。けれども、だからこそ挑戦する価値があると私は考える。

無知、無関心、誤解、疑念などによって多くの人に見過ごされているものにこそ、サイエンスのチャンスが宿っていることがある。エーザイの副社長を務められた有機合成化学者の岸義人博士は、何千通りもの合成ルートの可能性がある複雑な天然有機化合物の合成の労苦にもひるまない研究者だった。

岸研究室が達成した海洋天然物ハリコンドリンBの全合成に端を発したエリブリンの創薬研究に対して、私の知人たちの多くは「採算が合わない無駄な取り組み」とやゆしたが、岸先生は「エーザイしか取り組まないから価値がある」と私たちを諭し、数々の挑戦を通して当社の粘り強いケミストリー力の礎を築いてくれた。残念なことに、岸先生は今年1月に亡くなられた。心の真ん中に大きな穴が開いたような気持である。理解者や賛同者がわずかでも、研究者としての確信と信念が宿るプロジェクトは簡単に諦めてはいけない。フォロワーは世界を変えるゲームチェンジャーにはなれない。開拓者は失敗を恐れてはいけない。エーザイのチャレンジ精神の原点はここにあるのではないか。

Promoted by エーザイ / text by Kazuo Hashiba / photographs by Shuji Goto / edit by Akio Takashiro