「自ら夢を語り、みんなのモチベーションを高めるのがリーダーの役割。このときも『世界を変えよう』と鼓舞しました。量産化にこぎつけたときに思わず『すごい、本当にできた』と漏らしたら、部下から『できないと思ってやらせていたんですか』と突っ込まれましたが(笑)」
SWRを使ったケーブルは19年に英BTに採用されるなど、先進国を中心に売り上げを拡大。光ケーブル事業は赤字から5年で黒字化した。
その経験はフジクラ全体の再建にいかされている。コーポレート企画室長になった岡田は、事業の「選択と集中」やガバナンス改革などからなる「100日プラン」を策定。翌年、COOに就任してプランを実行した。短期で成果を出すことにこだわったのは、「光ケーブル事業は赤字が4年続いて、しだいに元気がなくなっていった。早く明るい未来を見せることが大切」と考えたからだ。
勢いがついたところで、欧米の光通信事業の需要増加や円安という追い風が吹いた。それが「想定より早い」2年での黒字転換となった。岡田が大切にしている言葉がもうひとつある。「差別化は時間差でしかない」だ。
「差別化は利益の源泉です。しかし、どのような差別化もいずれ競合が追いついてくる。その前に次の差別化を仕込んで継続的に新陳代謝を続ける必要があります」
SWRを使ったケーブルでふたたびリードを広げたものの、当然あぐらをかくつもりはない。次の種をいくつも仕込んでいるが、なかでもインパクトが大きいのは、レアアース系高温超電導線材だろう。核融合発電に欠かせない素材で、成功すればエネルギー問題や脱炭素問題が一気に解決する可能性がある。具体的にどのような導線なのか。説明を求めると、待ってましたとばかりに「いままでの超電導線材は超低温でないと……」と熱く語り始めた。「夢なき者に成功なし」を、岡田はいまも実践しているようだ。
おかだ・なおき◎1964年生まれ。千葉大学工学部卒業後、藤倉電線(現フジクラ)入社。開発畑にて一貫して光ケーブルに携わり、2008年光ケーブル開発部長、14年次世代光ケーブル事業推進室長を経て、20年常務執行役員。22年4月より現職。