パソコンが社会を変えるかも、という期待を胸に
安田稔(以下、安田):坪井さんは、1983年に入社されてから、一貫して技術畑を歩んで来られたと伺っています。どういう思いをもってご入社されたのでしょうか。坪井正志(以下、坪井):大学では管理工学を専攻していて、そこでPC-8000シリーズ(日本電気(NEC)が発売したパーソナルコンピュータシリーズ)に触れたんです。その時、「これが社会を変えるかもしれない」という期待が大きく膨らみました。
当時のパソコンは性能が高くなく、ホビー用の位置づけでしたが、OKIはそれをビジネスに使う方針を掲げていたのです。パソコンでソフトウェアを扱うことによる「OA(オフィス・オートメーション)」を本業でやっている当社に興味を抱き、入社を決めました。
安田:懐かしいですね。私も学生時代にPC-8000シリーズを使っていました。それからさまざまなご活躍を経て、CDOにご就任されたのが2022年4月ですよね。どのようなビジョンを描かれましたか?
坪井:今やあらゆる企業や行政がDXに取り組んでいる中で、OKIならではのポジションをとるべく、「オリジナリティに溢れたDXをどう描くか?」に腐心しましたね。
また、経営全体を見渡す執行役員としてDX戦略を描くにあたり、「DXと経営ビジョンを紐づけて捉えたい」とも考えました。そもそも当社は、社会インフラを構築されている企業へのIT支援によって成長してきた企業です。その生業と関連づけて、「社会の大丈夫をつくっていく。」を実現するDX新戦略を2022年に発表しました。
そのうえで、個別のDX戦略を「DX4象限」で示しました。これは「自社の生産性強化・対外的な競争力強化」×「ビジネスモデル変革・ビジネスプロセス変革」の2軸をとったマトリクスで表現したものです。
この4象限をつなげるキーワードとして「外部化(エクスターナライゼーション)」があります。これは、自社の技術やプロセスをお客様へ製品やサービスとして提供するもので、いわゆる外部委託(アウトソーシング)とは異なります。
「外部化」は、日本企業にとって重要な考え方ではないかと思っているのです。欧米で生まれたサービスは、言語の要素も影響しているのか、最初からグローバル展開を見据えたアーキテクチャになっています。一方、日本企業は、特定のお客様向けに開発した製品やサービスが軌道に乗ってから、水平展開する傾向があります。そう考えると、最初の成功事例を生み出すべく社内で技術やプロセスをつくり、その後、類似した課題を抱えるお客様へ提供することは、我々にとって馴染みやすいDXの在り方だと思うのです。「個」で成功したものを、外部に広めていくという姿勢です。社内で実現に苦労したポイントも、お客様にも当てはまる部分があるでしょうから、それも含めて価値を提供できると考えています。
そして新たなソリューションとしては、お客様のビジネスモデルを変革する「AIエッジ戦略」があります。生産現場や社会インフラなど、現場(エッジ領域)のDXをご支援することを通して、労働力不足などの社会課題の解決につなげています。
社会課題を解決する、「全員参加型」のイノベーティブな組織づくり
安田:御社のDX新戦略を拝見すると、社会課題に向き合う姿勢を色濃く感じます。一つひとつのソリューションがどの社会課題の解決につながるのかが示され、SDGsの項目との関連性も明確です。さらに、一部の人材だけがDXを推進するのではなく、「全員参加型でイノベーションを興す」とも明言されていますね。
坪井:いま振り返ると、当社は早い時期からSDGsを意識してきたと思います。社会インフラに携わってきた生業から考えると、自然なことなのかもしれません。
そして、各製品・サービスがどういった社会課題を解決するのかをSDGsの項目と紐づけて示し、ショールームでは模型も多く展示しているのは、お客様にご理解いただきやすくするためです。
また、我々はレガシーな会社だという自覚があり、だからこそ意識的にイノベーティブにならなければいけないと考えました。「全員参加型」を謳う前は、少人数のイノベーション組織をつくっていた時代もありました。ただ、その規模では、売上も、社会に与えるインパクトも限定的になってしまいます。せっかくDXに工数を割くのであれば、全社の組織風土改革として向き合うべきだと考えたのです。
こうして2018年頃から、イノベーション研修やアイデアコンテスト、経営トップとの対話など、ありとあらゆる組織風土改革の施策を行い続けています。最近では、外部の皆さんからも「面白いことをやっていますね」とポジティブな感想をいただくようになってきました。
全社員で社会課題を解決し、キーメッセージである「社会の大丈夫」を広げていくことは、私にとって最大のモチベーションになっています。
25年前に率いた社内ベンチャーは、聞こえはいいが失敗の連続だった
安田:早くから社会課題を意識され、この大組織でイノベーションを進める難しさは想像に難くありません。いまの坪井さんを形づくった原体験はあるのでしょうか?坪井:90年代後半、顧客や消費者からの電話問い合わせに対してオペレーターを振り分け、通話記録を残して顧客情報を一元管理するコンタクトセンターシステム「CTstage」を立ち上げたことが、自分の大きな糧になっています。
ここでの大きなチャレンジは、Windowsサーバーを使って、信頼性に不安があると言われていたUnPBXモデル(企業向け電話交換機であるPBXを使わず、コンピューターサーバーだけで完結させるモデル)でコンタクトセンターシステムをつくり上げること。そして、まだ40代前半の課長職だった私が社内ベンチャーのトップとなり、100名弱の若手メンバーを率いることでした。
社内ベンチャーというと華やかに聞こえますが、実際は苦労の連続でした。社内からは少なからず懸念の声があったことは事実です。電話通信の安定性の高さをコンピューターサーバーで実現できるわけがない、と。ノウハウも足りず、多くのお客様から叱咤激励を受け続けていましたね。
品質を安定させなければ、お客様の売上も減ってしまう厳しいサービスですから、お客様の期待になんとか応えたい。そして、アメリカで先行していたオープンシステムのモデルを実現したいという一心でした。開発段階は失敗の連続で、いま振り返ると「アジャイル開発」をやっていたように思います。結果として、国内トップシェアの製品に育てられたのでよかったです。
安田:当時の日本は、ハードもソフトも自前でやる時代でしたね。複数のメーカーの製品やサービスを組み合わせて、オープン化するのは外資系企業しか手がけていませんでしたから、大きなチャレンジだったことがわかります。
坪井:そういう時代でしたね。私自身の経験として、オープン化の重要性をこのタイミングで理解できたことは、いまのDX戦略の礎になっているように思います。
「AIエッジ戦略」においては、Googleさんをはじめ100社ほどの「AIエッジパートナー」企業様と協業しています。こうしたアライアンスや、ものづくりにおけるDXは実際に経験してきたことなので、決してお仕着せの話ではなく、その重要性を私は心から訴えることができるのです。
DX新時代で “付加価値の高い人材” になるために必要な要素とは?
安田:最後に、未来を担う若手に伝えたいことがあれば、ぜひメッセージをお願いいたします。坪井:情報通信業界に40年携わってきた立場から見て、このDXのムーブメントは、日本におけるIT化の遅れを取り戻す最大のチャンスだと思っています。
いまのAIは大量のデータからモデルを作る機械学習モデルに基づいています。これからの時代を担う世代は、データサイエンスの知見と、その基礎になる統計知識があると、付加価値が高い人材になれるのではないでしょうか。さらに、グローバル化が進む世の中では、英語力も必須です。
また、データを扱うにあたっては、その内容を正しく理解しないといけませんから、業務知識も求められます。IT技術力と業務知識の両方を備えているビジネスパーソンは、活躍の幅が広がるでしょう。
私も会社人生のラストスパートを迎えていますから、次世代に継承していきたいことが多くあります。露骨に言うと嫌がられてしまうので(笑)、対話を重ねて、若手が腹落ちできるように伝えていきたいですね。
坪井 正志(つぼい・まさし)◎慶應義塾大学工学部管理工学科卒後、1983年4月、沖電気工業株式会社に入社。同社通信システム事業本部企業ネットワークシステム事業部長、ソリューション&サービス事業本部情報システム事業部長、情報通信事業本部本部長、常務執行役員などに従事。2020年4月より専務執行役員、2022年4月よりデジタル責任者に就任し、現在に至る。
安田 稔(やすだ・みのる)◎1985年、明治大学 工学部卒業。デュポン・ジャパンでの営業経験を経て、1994年、コンパック日本法人入社。以降ITトップカンパニーで事業責任者を歴任。2015年8月、レノボ・ジャパン入社。同年レノボ・ジャパン 執行役員専務、NECパーソナルコンピュータ 執行役員に就任。2018年5月より、レノボ・ジャパン執行役員副社長。
日本のDXを牽引する “IT改革者たち” の脳内
第1回 丸井グループ 海老原 健氏
第2回 沖電気工業 坪井 正志氏(本記事)
第3回 マツダ 木谷 昭博氏
第4回 明治安田生命保険相互会社 牧野 真也氏
第5回 三菱電機 三谷 英一郎氏