昨年末に行われたサッカーのカタールワールドカップ、悲願のベスト8を賭けた決勝トーナメント1回戦でのクロアチア代表と日本代表の戦いだ。
延長戦でも1対1のまま決着がつかず、勝負はPK戦に持ち込まれた。日本中が固唾を飲んで見守る中、1番手キッカーの南野、そして2番手の三笘が続けて相手ゴールキーパーに阻まれた。3番手の浅野は決めたが、4番手で登場したキャプテン吉田の蹴ったボールはまたもキーパーに止められた。
悔しい敗戦。多くの日本人が、寝付きの悪い夜を過ごしたことだろう。
一夜明けて話題に上ったのは、森保監督がPKの順番をどう決めたか、だった。そして、実は立候補制だったということが、さらなる物議を醸した。
私はこれについて何か申したいわけではない。もし勝っていたならば「さすが森保監督」という美談に仕立て上げられたことだろうし、運の要素も強いであろうPK戦に後講釈を垂れるほど無粋なことはないと思っている。
考えたいのは、この場面で森保監督はどのように「立候補制にしよう」と意思決定したのか、ということだ。
おそらく、誰に相談することもなく独断で決めたのだろう。ひょっとしたら、試合前から「PK戦になったら立候補で」と決めていたのかもしれない。何れにせよ、あのギリギリの場面で、みんなで議論して意思決定することは現実的ではない。そこには最終責任者の監督としての明確なトップダウンの意思決定があったはずだ。
先を読み通せるリーダーなどいない
前回のコラムでは、英雄的なリーダーシップ・ストーリーで語られる意思決定から卒業しよう、というメッセージをお伝えした。ただでさえ予測不能なこの時代、先を読み通せるリーダーなどいない。だからこそ、「特定の個人による、一つの意思決定」に対する過度な幻想を拭い去り、衆知を集めて修正可能な程度の小さな一歩を小刻みに繰り出していく「創発回転型意思決定」の概念を紹介した。
しかし、そうは言っても、この森保監督の例のように、1人のリーダーが一つの意思決定で決めなければならない場面もある。みんなで小刻みな意思決定を... なんて悠長なことを言っていられない意思決定も当然あるのだ。
これからの議論を粗いものにしないためにも、意思決定を一括りにするのではなく、いくつかの状況にパターン分けしておく必要がある。今回はその話をしてみたい。
意思決定場面を分類する上で、優先すべき変数は2つある。