中華系の文化で教養を表すとして特に大切にされているのが、字の美しさ。書道の心得のあるレオンシェフは特別なもてなしの際に、筆を使って皿にメッセージや絵を描くなどもしているが、この時期はそれを身近に感じることができる。
シンガポールでは、旧正月に、縁起の良い名前を持つ、魚の刺身や野菜、揚げワンタンなどをきれいに大皿に盛り合わせ、家族や友人たちとその皿を囲み、それぞれ箸を使ってかき混ぜながら空中に投げ上げることで、その年の幸運を願う「魚生」という特別な料理を食べる風習がある。
レオンシェフはその皿に、卵白を絵の具代わりに、精緻な筆使いで、さまざまなデザインのその年の干支の絵と新年の祝いの言葉を描いていき、乾き切る前にシナモンを振りかけて柄を浮き上がらせる。
一枚わずか数分で、一日100枚ほど書き上げるという。絵画と書道のプロでもあるレオンシェフの手描きの見事な皿は、食べると消えてしまう、ある種インスタレーションのような瞬間のアートとも言える。
この他、例えば戌年なら、縁起の良い果物である、パイナップルで作った雌雄の犬がテーブルに飾られるなど、さまざまなアイデアでゲストの目を楽しませる。
レオンシェフは朝の出勤前の30分など、仕事の合間を縫って絵画などの制作を続けているが、毎年旧正月の時期は、多くの枚数を短時間で仕上げるため、絵を描く上での良いトレーニングにもなっているという。
期間限定ではなく、厨房に常駐するアーティストがいることで、自由自在に、オーダーメイドの特別な体験を演出できる。一方、アーティストにとっては、ホテルならではのラグジュアリーで広い空間を使い、作品を展示するのにも、よりスケール感のある演出ができたり、多くの人に直接自分の作品にふれてもらうことができる、というメリットがある。
また、ホテルは昨年11月、ビジネスにも便利なメゾネットスタイルの部屋を、レオンシェフのスタイルと調和する、シンガポールでよく見られるブーゲンビリアやバタフライピーなどの花をテーマにした柔らかい雰囲気に改装。ホテル全体として、より統一感のある世界観が表現されるようになった。
皿の上だけでは語れないファインダイニングの世界。料理が記憶に残るためには、つくり手の「その人らしさ」の多様な表現が求められる。空間から体験を生み出すラグジュアリーホテルにとっても、アーティストのような、パーソナルで総合的な表現力を持つことが、これまで以上に求められてくるだろう。