だが彼の人生には、より注目を集める、ある不気味で不穏な側面がある。デカルトは使用人と関係を持ち、2人の間には幼い娘フランシーヌが生まれ、デカルトは娘をとてもかわいがっていた。悲しいことにフランシーヌは5歳で猩紅(しょうこう)熱で亡くなってしまった。取り乱したデカルトは、彼女に似せたオートマタ(時計仕かけの本物そっくりの人形、ロボットのようなもの)を作らせた。
彼はこの「人形」を旅行のたびに(棺に入れて)持ち運んでいたが、スウェーデンのクリスティーナ女王を訪ねる旅行の際、彼が乗っていた船の乗組員が、ロボットとそれにぼそぼそと話しかけるデカルトを警戒して(それは嵐の夜だった)、彼の部屋に侵入して「人形」を盗んで破壊し、海に投げ込んだのだ。デカルトはさらに心に傷を負い、この事件が直接彼の健康に影響を与えたとは言い切れないものの、その後すぐに死亡してしまった。
テクノロジーは私たちに恐れを抱かせる
デカルトの「人形」のエピソードは、人間と機械の関係について何を示唆しているのか、ロボットはどのように人間に取って代わるのか、そしてそれがどのように混乱を引き起こすかという観点から再び注目されている。人間と機械の関係は、世界の進歩(あるいは衰退)を切り取るテーマであり、これまでも度々書かれてきた(たとえば「Talos」など)。私の限られた視野で捉えると、このメガトレンドには少なくとも2つの側面がある。すなわち、機械が私たち(人間)の世界を支配するリスクと、人間の世界の外に(分散型金融[DeFi]、Web3/メタバースなどの)機械主導の世界が存在し始めるリスクだ。
前者の場合、悪い予想としては、機械が人類を傷つけるという未知のリスクがある(兵器化したAI「悪い」人間によるAIの使用、ロボットの戦争への使用はもちろん、記事「The Final Problem(最終問題)」で言及したAIによる化学・生物兵器の製造もあり得る)。