ジブリを生んだ「メディア・エンタメの怪人」 超豪快な表の顔とウラの顔

Romolo Tavani / Shutterstock.com

先月5日に行われた愛知県知事選で、大村秀章氏が4選を果たした。公約の目玉の一つに掲げたのは、昨年11月にオープンし、今秋から第2期開業を予定している「ジブリパーク」のPR、観光振興であった。

アメリカはじめ世界各国でもエンターテインメント産業の政策活用は常に注目を集めるところだが、日本でも「ジブリ」ブランドの力が改めて実証されたといったところか──。

ここで一人の男を思い出す。

故・徳間康快。

「黒幕」「仕掛け人」「怪人」などと称されることも多かった、徳間書店の創業社長である。

2000年9月に78歳で逝去したため、近頃その名が語られることは少なくなったが、東映動画(現・東映アニメーション)を出て移籍を重ねていた宮崎駿の才能を見込んで、『風の谷のナウシカ』(1984年)の製作を支援した後、スタジオジブリを出資設立したのは、ほかでもない徳間だ。

徳間は、読売新聞記者を労働争議で退職し、緒方竹虎自民党副総裁の斡旋で、若干29歳で新光印刷社長に就任した後、日東新聞やアサヒ芸能新聞・出版の経営に転じた。そして、61年に40歳で総合出版事業を目指す徳間書店を興した。

天性の企画力、交渉力に、「嘘にならない最大の誇張」。

もし、緒方が急逝せず、自民党総裁、総理大臣の座についていれば、徳間は緒方の右腕として政界に名を遺す存在となっていたかもしれない。が、その才をもって、徳間ジャパン(音楽・ビデオ)、東京タイムズ、徳間牧場、大映、ジブリ、東京国際映画祭、逗子開成学園までも手掛け、日本初の「メディアミックス」事業団を構築した。

彼の功罪については、佐高信著『メディアの怪人 徳間康快』(講談社+α文庫)などに詳しく紹介されているが、ここでは、米インディアナ大学の助教授だった80年代にTBSの磯崎洋三社長の紹介で知己を得て、米国で様々な事業顧問を務めた筆者が、氏のメディア実業家、プロデューサーとしての異才と知られざる一面について紹介したい。

*所属・肩書き等は全てそれぞれ当時のものです
『メディアの怪人 徳間康快』(佐高 信著、講談社+α文庫)

メディアの怪人 徳間康快』(佐高 信著、講談社+α文庫)

ファミコンにケビン・コスナー。ジブリ前から慧眼

徳間はファミリーコンピュータ(ファミコン)が国内でヒットし始めた80年代初期、アニメに続き、ゲーム事業にも先駆けて参入した。

任天堂は今や世界有数のゲームメーカーだが、当時は未だ花札メーカーの印象も強く、国際展開も、先ずはシアトルに拠点を設け、北米での事業展開を目論んでいた段階であった。

ファミコンの将来性を確信した徳間は、ゲームの攻略情報を売りにした専門誌『ファミリーコンピュータMagazine』(ファミマガ)を山内溥社長を説き伏せて発刊し、ヒットさせた。更なる商機を感じると、北米版出版権も獲得して『ニンテンドーパワー』の編集室をシアトルに開設。地元テレビ局から有望な人材をスカウトし、発行部数はほぼ瞬時に100万を超え、北米初のゲーム攻略誌を成功させた。

その後、事業は任天堂アメリカに移管されて役目を終えるが、ファミコンの世界制覇におけるニンテンドーパワー・マガジンの貢献は大きかったと言えるだろう。しかし、徳間の寄与についてはほとんど知られていない。

俳優、ケビン・コスナーの才能にいち早く気付いたのも、徳間だった。
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文=北谷賢司 編集=宇藤智子

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