交際相手に会いに行くシングルマザーが子供を家に残し、亡くなってしまう事件が時代を超えて繰り返されニュースになったり、奔放な母は子供を蔑ろにするというステレオタイプもあるだろう。子供は自分で環境を選ぶことが難しいし、母子家庭という、ともすると閉ざされてしまう可能性がある状況において、なにより子供を心配するというのはもっともだ。母子家庭だろうがそうでなかろうが、子供が安心して幸せに生活できることは最重要だ。
それと同時に、私たちシングルマザーは、「自分の幸せを犠牲にしても子供は喜ばないよ」だったり、「子供にとってはお母さんが幸せでいることが何より幸せだから」と言われる。
「子供はお母さんを幸せにしたくて生まれてくる」というのが真理かどうかは知る由もないが、これらのことを根拠に、シングルマザーであっても自分の仕事や人生を優先することを推奨されたり、常に子供を最優先にせずとも休んだり楽したりすることもよしとされる。
シングルマザーが豊かに生きるためのサポートは、行政からも民間からも様々なサービスの形で提供されていて、地域やケースによっては十分でないこともあるだろうが、当事者として1年半過ごしてみて、想像よりはるかにたくさんのサポートを得てきたと思うし、ありがたいことに周囲の人々の善意のサポートも安定的に得られ、「(これからもいろいろあるかもしれないけど)私も娘も大丈夫」と思って生きていられる。
バランスを探し求めて
「子供がなにより最優先」と「お母さんの幸せが大事」この強烈なダブルスタンダード。どちらも反論の余地なしの正論。
両方大事で、両方とも満たされた方がいいのは分かり切っている。
そのために「具体的にはどうすんの?」である。
概念的、長期的には両方を満たすことは可能だろうが、限られたリソースをどう使うか、期間や場面が限定的であればあるほど難しくなる。
シングルマザーにとって最も貴重なリソースは時間。仕事か家事か、片付けるか子供と遊ぶか、寝るか料理するか、24時間に収まり切らないパズル状態。
子供の発熱や自分の不調、仕事のトラブル、常にどこかしらはイレギュラーで、どれも十分にやれているという感覚は得にくい。