小山薫堂(以下、小山):島谷さんは最初から映画をつくりたくて東宝に?
島谷能成(以下、島谷):大学が京都なんですが、ほとんどドロップアウト状態で。退屈したのかな、東京に行きかった。それで中身はまるでわかっていないのに、東宝だったら何か面白いことができるかなと。
小山:映画学生ではなかったんですか?
島谷:音楽が好きだった。中学1年生でビートルズの「シー・ラヴズ・ユー」に出会い、それから洋楽を聴きまくって、ジャズに出会ったんです。三条河原町近くの「ZABO」という、フリージャズのレコードコレクションでは日本で1、2位を争った店に入り浸っててね。最初は雑音にしか聞こえないけれど、だんだんとエキサイトしてくるんだよ。いまでもそうですね。
小山:それでも京都は退屈してしまったんですね。入社した東宝は想像どおり面白かったですか。
島谷:いや、年間200本観ているとか“映画大好き人間”が当然多くて。自分は全然だったから、映画の仕事をしても後れをとるなと思い、好きな音楽で勝負しようと東宝レコードというグループ会社に行ったんです。だから映画を好きになったのは東宝に転じたあと。とにかく片っ端から観ました。
小山:人生最期に観るなら、島谷さんは何を選びますか。
島谷:入社後すぐに研修で観せてもらった、黒澤明の『七人の侍』と成瀬巳喜男の『女が階段を上る時』。それまで小説も読んだし音楽も聴いてきたけれど、どちらも不自由な表現じゃないですか。小説というのは、音もないし画もないし言葉だけ。音楽は、言葉を使うこともあるけれど、基本は音で感情表現をする。でも、映画って音も言葉も画もすべてあるから、最も容易く大衆的なもので、レベルとしては最も低かろうと舐めていた。
小山:小説や音楽のほうが高尚だと感じていたわけですね。
島谷:そう。「詩人の想像力と表現力のほうがすごい」「和音すらないのに何かを感じさせるフリージャズのほうが優れている」と生意気にも思っていた。でも先の2本を観て、映画の凄み、素晴らしさに打ちのめされました。僕の映画人生の原点かもしれない。いまでもこの2本、好きですね。