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2023.03.13 16:00

テクノロジー企業とアーティストがたどり着いた、 バーチャル空間がもたらすエクスペリエンスの真髄とは

1981年にフランスで生まれたダッソー・システムズ。

現在では140の国と地域からなる約2万人の従業員で構成され、取引先の数は企業・行政・教育機関を含めて30万社・団体を超えている。

その日本法人の代表取締役社長であるフィリップ・ゴドブが、アーティストのスプツニ子!と対談。同社による「バーチャルツイン・エクスペリエンス」とスプツニ子!の「スペキュラティブなアート」の同胞性と可能性に迫る。


ICT(情報通信技術)やIoT(Internet of Things)といった技術の進歩も手伝って、私たちが使用しているモノにはドラスティックな革新が起き続けている。モノに革新が起きているということはすなわち、モノづくりの現場において革新が生まれているということに他ならない。

1981年にフランスで創業したダッソー・システムズは、長きにわたって製造業界に革新をもたらし続けてきたテクノロジー企業だ。例えば、1999年には業界に先駆けてPLM(プロダクト・ライフサイクル・マネジメント)を提唱するなど、製造業の業務プロセスに多大なる価値を提供し続けてきた。

そして、いま、ダッソー・システムズが推進する「3DEXPERIENCE(スリーディーエクスペリエンス)プラットフォーム」の領域は、製品から都市へ、生命へ、つまりは人間のあらゆるエクスペリエンスへと拡大している。

今回、ダッソー・システムズの日本法人で代表取締役社長の任に就くフィリップ・ゴドブがトークセッションの相手として迎えたのは、スプツニ子!だ。

彼女は東京藝術大学美術学部デザイン科の准教授として学生を指導し、企業のダイバーシティ・エクイティ&インクルージョン推進を支援するクレードルという会社の代表取締役社長を務め、スペキュラティブ・デザインの概念を思考の底流に据えながらアーティストとして活動している。

スペキュラティブ・デザインとダッソー・システムズとの共通点

フィリップ・ゴドブ(以下、ゴドブ):スプツニ子!さんのご経歴を拝見して、大変興味深いと思いました。あなたのユニークネス、つまり他の人とは異なる独自の思考が生まれた背景について、まずは今回の記事の読者と共有できたらと思っています。あなたは、お父さまが日本人、お母さまが英国人で、両親ともに数学の研究者・大学教授という環境にお生まれですね。

スプツニ子!:はい。私は東京で生まれ、 英国のロンドン大学インペリアル・カレッジに進学し、数学科および情報工学科を 卒業しました。その後、ロンドンでプログラミングや作詞作曲などの音楽活動を経て、英国王立芸術学院のデザイン・インタラクションズ学科の 修士課程を修了しています。その在学中より、テクノロジーによって変化していく人間のあり方や社会を反映させた映像インスタレーションを制作するなど、アーティスト活動を開始しました。

ゴドブ:スプツニ子!さんがアーティスト活動の基盤にしている「スペキュラティブ・デザイン」がどのようなものか、ご説明いただけますか。

スプツニ子!:スペキュラティブ・デザインとは、私が通っていた英国王立芸術学院の教授であるアンソニー・ダンとフィオナ・レイビーによって提唱されたデザインの考え方です。これまで「デザイン」という言葉は、グラフィック、プロダクト、都市設計などさまざまな場面において、機能性や利便性、審美性などの面で与えられた課題を解決する、というイメージを持たれていたと思います。

しかし、デザインは目の前の課題を解決するだけではなく、未来に向けて問題提起をできるものだ、というのがスペキュラティブ・デザインの立場です。課題を提起し、議論を促し、新たな思索や視点を身につけるのためのデザインが、スペキュラティブ・デザインです。

ゴドブ:
まさにスペキュラティブ(=思索する)という言葉のとおり、未来について考えるきっかけを提供してくれるのが、スペキュラティブ・デザインというわけですね。これまでにスプツニ子!さんが発表してきた作品についても、少し解説していただけますか。

スプツニ子!:2010年に発表した「生理マシーン、タカシの場合。」(※)は、生物学的男性が生理を疑似体験し、痛みに苦しむ様子を描いた映像作品です。当時は英語圏においても衝撃をもって受けとめられましたね。当時、生理の話はタブーから解放されておらず、賛否両論が大き かったと言えるでしょう。あれから13年が経ち、作品への理解が国内外で増えてきて、時代の変化を感じています。

(※作品内の「生理マシーン」は、平均的な月経量80mlを5日間かけてタンクから流血させ、下腹部についた電極によって鈍い生理痛を装着者に与えるというもの。映像では生理痛に苦しむタカシの姿が描かれている)

ゴドブ:自分の立場から見えにくいものは理解しづらいですし、自分が経験したことがないことは理解しづらいものです。それが人間の性(さが)なのだと思います。

「ひとつの課題を提起し、理解に至るための思索の起点、あるいは材料になる」という意味において、スプツニ子!さんのアートは大変に有益であると感じています。また、同じ意味において、私たちダッソー・システムズとスプツニ子!さんは深くつながっているとも感じています。今日は、いろいろなお話ができることが楽しみです。

スプツニ子!:
ありがとうございます。私も楽しみです。それでは、ゴドブさんのご経歴についても教えていただけますでしょうか。

ゴドブ:私は、カナダのモントリオールで生まれました。中学生時代からバスケットボールに夢中な日々を過ごしながら、大学に入学する前には小学生時代から触り続けてきたパソコンを使ってコーディングができるようになっていました。地元にあるシャーブルック大学で機械工学および航空宇宙工学の修士号を取得後、2000年にダッソー・システムズに入社しています。

まず、本田技研工業の日本工場にエンジニアとして派遣され、3Dおよびデジタルの導入による開発プロセスの変革をサポートしてきました。続いて、米国シアトルにあるボーイング社で、ジャンボジェット機のバーチャルツインをつくり、デジタルプラットフォーム上で世界中のビジネスパートナーやサプライヤーが協力して製造するという新しい仕組みを構築していきました。

スプツニ子!:インダストリーの世界でイノベーションに貢献されてきたのですね。

ゴドブ:ダッソー・システムズは、1989年にボーイング777のバーチャルツインを構築しています。航空機の開発にバーチャルツインを導入したのは、そのときが業界ではじめてとなりました。当時のバーチャルツインは3Dで表現されるデジタルモックアップのことを指していましたが、現在では設計段階の製品はもちろん、製造プロセスやシステムそのものを3Dモデルに移行し、バーチャルな空間でシミュレーションすることが可能になりました。

実際に試作を行う前に、さまざまなオプションについて検討できるのです。バーチャルの世界とリアルの世界の情報をバーチャルツインという形で結びつけることで、企業はさまざまなことが実現可能になっています。

スプツニ子!:近年のバーチャルリアリティ技術の進歩は、アートの分野にも大きな影響を及ぼしています。バーチャルな空間はアーティストにとって新しいメディアになり、観客が自分自身を作品の一部として体験するなど、リアルな空間とは異なる体験型作品が制作できるようになりました。

また、バーチャルリアリティ技術には、世界中の観客にアクセスできるというメリットもあります。他にも、バーチャル空間を通じてアーティスト同士が協力して作品を制作することも今後は活発になっていくでしょう。ゴドブさんがボーイング社で世界中のビジネスパートナーやサプライヤーとつながりながらジャンボジェットをつくってきたのと同じようなことが、これからのアート界でもバーチャル空間で行われようとしているのです。

ゴドブ:
これまで、スプツニ子!さんはテクノロジーとアートを融合させながら社会への問題提起を続けてきましたね。現在のスプツニ子!さんは、バーチャル空間におけるアート活動について、どのような想いでいるのでしょうか。

スプツニ子!:私もすでにいくつかのバーチャル空間での展覧会に参加しています。バーチャル空間を利用することで、新しい観客と表現方法を開拓していく可能性が生まれて、従来のあり方を超えた新しいアート作品を創作する幅ができたと感じています。

ゴドブ:
例えば、メタバース(アバターを介して相互交流することができる3D仮想空間)が一般化している2030年の未来において、スプツニ子!さんによるスペキュラティブなアートは、どのような姿に進化しているでしょうか。

スプツニ子!:メタバースが一般化してバーチャルな体験を提供することで、仮想空間内でのインタラクションがよりリアルで身近なものになることは確かですね。だけど正直、私自身も2030年にどんなアートを作っているかは想像できないです。今より多くのアーティストが、映像編集ソフトを使うような感覚で、AIとコラボレーションして制作している気もします。

ゴドブ:ダッソー・システムズは「製品・自然環境・人々の生活が調和する持続可能なイノベーションの実現に向けて、3DEXPERIENCEの世界を提供します」というパーパスを掲げています。3Dデータを軸に製品開発や生産、販売、マーケティングなど製造業の一連のビジネスを支える基盤として、2012年からは「3DEXPERIENCEプラットフォーム」を提供してきました。

テクノロジーの力を借りて、問題解決の可能性を探り、よりよい未来に向けて想像力の翼を拡げる……。そうした飛翔を可能にするという意味において、ダッソー・システムズが提供しているプラットフォームとスプツニ子!さんが届けているアートは存在意義を同じくしていると感じています。

スプツニ子!:
そうだと嬉しいです!

バイアスを取り除き、より公正な世界をデザインしていく

スプツニ子!:最近では、テクノロジーの進展に伴ってデータを扱う人間の判断や意思決定がますます重要になっていると感じています。

キャロライン・クリアド=ペレスというジャーナリストが著した『存在しない女たち 男性優位の世界にひそむ見せかけのファクトを暴く』という本には、「アメリカにおいて自動車の衝突安全テストで女性の体格に基づいたダミーの使用がようやく始まったのは2011年のこと」と記されています。自動車の設計には、長年にわたって女性を無視してきた歴史があるというのです。

その結果として自動車事故で女性が重症を負う確率は男性よりも47%も高く、死亡率は17%も高くなっているとのデータが提示されています。車に限らず、あらゆる製品をつくるプロセスにおいてジェンダーのバイアスを取り除く必要があると、私は強く感じています。

ゴドブ:間違った認識や差別、偏見などにより偏りのあるデータを収集してしまう、そうした偏りのあるデータをAIに学習させてしまう。結果として、公平性のない結果が算出されてしまう……。私たちは、データバイアスやAIバイアスについて深く留意する必要があると考えています。

ダッソー・システムズでは自動車メーカーに対してバーチャル空間での衝突実験のソリューションを提供していますが、そこではジェンダーや年齢、体格差を反映した数多くの身体モデルを用意しています。バーチャル空間での実験であれば、身体モデルと事故の条件をいろいろと変えながら無数に検証できます。そうしたことも特長なのです。

スプツニ子!:それは素晴らしいことですね。判断や意思決定からバイアスを取り除くためには意識して環境をつくっていくことが必要です。

ゴドブ:おっしゃるとおりです。現在注目を集めている自動運転の実証実験においても、しっかりとバイアスを取り除いたシミュレーションを行うという意味において、バーチャルツインの活用がいっそう重要になると考えています。また、ダッソー・システムズではマネジメント層に女性を多く登用しているほか、さまざまな価値観をもった適応力の高い人材を登用しており、より包括的で多様性に富んだチーム構築に尽力しています。

スプツニ子!:ダイバーシティに配慮されているのですね。より公正なデジタル世界をデザインしていくためには、アルゴリズムを設計する際にジェンダーや人種的マイノリティに対する偏見を回避できるようにチェックしたり、トレーニング・データが偏っていないことを確認したりする作業が必要です。現在、ダッソー・システムズが手がけているバーチャルツインにおいては、どのような種類のAIが使われ、どのような役割を果たしているのでしょうか。

ゴドブ:AIはバーチャルツインを構成する要素のひとつであり、当社も複数のAI技術を有しています。例えば、セマンティック(意味論)処理ソフトウェアが挙げられます。「こうなったらいいな」と想像した何かを、SFではなくていま実現させるためには、しっかりとした科学的裏付けが必須です。

セマンティック(意味論)処理ソフトウェアデータは、各種の要件や規制、製品やサービスに寄せられたお客様の声、契約書、科学文献、研究報告書、臨床試験結果などから得られるナレッジを、プラットフォーム上で自動的に分析・判断してバーチャルツインに反映させるために欠かせないものです。

ほかの例としては、ジェネレーティブデザインが挙げられます。これは、AIを使って一連のシステム設計要件から最適な設計を自動的に作成する3Dモデリング機能です。材料や製造工程などの要件をエンジニアが指定することで製品の形状が自動生成され、その結果として設計業務が効率化されるのはもちろん、思いもよらない形状のデザインが新たに創出されることもあります。設計プロセスの前段階でシミュレーションを実行することで、コストを削減し、よりよい製品を生み出し、市場投入期間の短縮が可能になります。

バーチャルツインとスペキュラティブなアートには無限の可能性がある

ゴドブ:いま、ダッソー・システムズのバーチャルツインは「人間の生命」や「人間の暮らし」にまで拡がりを見せています。「製造業」だけでなく、「ライフサイエンス&ヘルスケア」や「都市・インフラ」といったセクターにも注力しているのです。

私たちは、バーチャル・ユニバースのなかで活用されるバーチャルツイン・エクスペリエンスの無限の可能性に期待しています。次世代AIエンジンを搭載したバーチャル・ユニバースのなかで、お客様が情報と情報の断片をつなぎ、まだ見えないものに意味を与え、明らかにすることを目指しています。製品ライフサイクル全体を可視化、モデリング、シミュレーションし、人々の知識、知見を含めたすべての情報をひとつのプラットフォームに集約して関係者の間で共有し、コラボレーションすることで、想像を拡げ、ビジネスの持続可能なイノベーションを促進していきたいと考えています。

スプツニ子!:まだ目に見えていないものを見ること。それはすなわち、課題を可視化することであり、検証し、理解を深め、ベストなシナリオを導き出すことです。今日のお話を聞いていて、バーチャルツインがもたらすエクスペリエンスの真髄とは、ベストなシナリオ=望ましい未来を見通すことだと感じました。ダッソー・システムズのバーチャルツイン・エクスペリエンスに無限の可能性があるように、 アートの未来にも無限の可能性があることを改めて感じることができました。

ゴドブ:決してひるむことなく、共に前進していきましょう。


スプツニ子!◎ロンドン大学インペリアル・カレッジの数学科および情報工学科を卒業。その後、英国王立芸術学院のデザイン・インタラクション学科および修士課程を修了。2013年から17年までは、マサチューセッツ工科大学メディアラボにて、アシスタントプロフェッサー(助教)としてデザイン・フィクション研究室を創設、主宰してきた。17年には世界経済フォーラムのヤング・グローバル・リーダーとカルチャー・リーダーに選出され、20年にはダボス会議に登壇。現在は東京藝術大学美術学部デザイン科の准教授、クレードルという会社の代表取締役社長、アーティストとして活躍。

フィリップ・ゴドブ◎カナダのシャーブルック大学で機械工学および航空宇宙工学の修士号を取得後、2000年にダッソー・システムズに入社。日本の栃木県、米国のシアトルに赴任するなどを経て、アジアパシフィックエリアを統括するインダストリーサービス担当として再び来日。2020年1月に日本におけるダッソー・システムズ・グループの代表に就任。

Text by Kiyoto Kuniryo / photographs by Shuji Goto / edit by Akio Takashiro