「明日 わたしは柿の木にのぼる」代表の小林味愛が聞き手となって、Yumicoさんのこれまでの歩みを振り返りながら、“健康で美しい心身を自分で整え「自分の味方」になる”メソッドを紐解きます。
自信をつけるために。世の中の“隙間”を見つけて始めた最初のビジネス
──モデルから産後のママまで、常に超満員、大人気のYumiCoreBodyですが、Yumicoさんはそもそも起業をする前、どんなことをされていたのですか?いつも身体のことばかりで自分の人生について話す機会はほとんどないので、慣れないですね(笑)。学生時代から振り返ると、中高一貫校から短大に進学したんですが、勉強とか部活やサークルに励むより友だちと遊ぶことが好きで、何か一つのことに打ち込んだ経験はないです。
今の仕事につながるエピソードを挙げるとすれば、女子校で仲のいい10人グループの子それぞれに似合う髪型やメイク、服装をよく提案していました。今思えばこの頃から、自分だけでなく、誰かの魅力が引き出されてきれいになっていくことに喜びを感じていたんだと思います。
とにかく好奇心旺盛で、短大時代は、年上の社会人、起業家やスポーツ選手、研究者など何かに秀でたスペシャリストに会いに行って話を聞いていました。人と違うことをしたいという気持ちはあったけど、勉強ができたわけでもないし、何か特別な才能もなければ、やりたいこともない。
結局就職は親に言われるがまま、自動車業界に入り車の販売営業をしていました。でも正直やる気も出なかったし、何かで起業したいという気持ちは持っていましたね。
そんな中、ドイツに詳しい父が、自然な眉を刺青のように描く「アートメイク」が流行っていると教えてくれて。当時22歳、20年以上前のことなので、日本にはまだ入ってきてなかった。世の中にはモノも情報も技術もあるけど、どこかに隙間があるはずだと目を光らせていて、当時はその隙間がこれだ!と思ったんですね。
会社を辞めて、ドイツにアートメイクを学びに行って必要な機器を購入して、事業を始めました。
24歳の頃のYumicoさん
その背景には実は、失恋があって。当時付き合っていた彼に婚約破棄されて、結構稼いでいる人だったので、この傷を乗り越えるためには、ほかにいい人を見つけるより、私が彼より稼いで自信をつけるしかないと思ったんですね。失恋がいいパワーになって、日本にアートメイクを持ってきてビジネスが回るようになりました。
でも、次第に規制が入ってアートメイクが医療行為に限定されるようになった頃に、子どもが産まれたので、専業主婦になりました。