当時まだ日陰のシステム部門で経験した喜びが、職業観の原点
安田稔(以下、安田):丸井グループ様は、小売業の中でも先進的なIT活用をされており、フィンテック事業や、小売のオムニチャネルにおいて日本の代表的な企業だと感じています。海老原さんは、御社に入社されてからどのようなキャリアを歩まれてきたのでしょうか?
海老原健(以下、海老原):1991年に新卒で入社し、最初は店舗で販売を担当しました。入社2年目からシステム部門へ異動になり、以来一貫してシステム畑です。
当時、システム開発を内製する方針があり、プログラミングを学んでシステムをつくる仕事を最初に担当しました。この経験が、CIOに就任した現在に至るまでの職業観へ影響を与えていると思います。自分がつくったプログラムが動き、システムで何かができるようになる喜びを得たことで、「システムで、もっとさまざまなことができるはずだ」というワクワクする感覚が芽生えたのです。当時の社内ではまだ、システム部門にスポットライトは当たっていませんでしたけれども(笑)。
外部企業も含めた“チーム”で価値を創造し、“みんな”で喜びを分かち合う
安田:2021年にCIOにご就任されたときには、どのようなビジョンを描かれましたか?
海老原:デジタルを活用して世の中の課題を解決し、常に新しい価値を提供し続ける会社へ変革していきたいと考えました。小売やフィンテックのシステム開発だけに留まるのではなく、丸井グループ発の新しい価値提供をみんなで熱意をもって生み出したいと思い描いてましたね。
安田:その「みんなで」というところに、なんだか“海老原さんらしさ”を感じました。何か特別な思いがあるのでしょうか?
海老原:そうですね。繰り返し訪れる開発の山を乗り越えているうちに責任者の立場になり、「チームで一丸となってシステム開発をやりたい」という気持ちが強くなっていきました。技術職は個人技を磨く考え方もありますし、先端技術の知見が豊富なCIOの姿もあるかもしれませんが、私はそうではなく、みんなで喜びを分かち合いたかったんです。そのために、自分は何をすべきかを強く意識するようになりました。
「チーム」というのは、お取引先様も含めてのものです。我々は職種別採用をしていないので、システム部門のメンバーもエンジニアを志して入社したわけではありません。いい意味で自信がなく、足りない知見も多くあるのが事実です。そのような組織が、やりたいことを実現するには外部の皆さんのお力添えが欠かせません。
たとえば、2006年にカード事業でハウスカードからVISAカードへの転換を図った際は、そもそもVISAカードとはなんなのか、ICチップはどうやってつくるのか、どうすれば加盟店でも使えるようになるのかなど、何もかもわからないことだらけでした。同時にメインフレームからオープン化への大規模改修もしましたので、このプロジェクトは私の会社人生でもっとも骨の折れる経験でしたね。外部で知見のある方にお越しいただいて、1日中、質問し続けることもよくありました。
こうした大きなプロジェクトほど、お取引先様も含めて、どれだけみんなが高いモチベーションを持てるかによって、生み出せる価値の大きさが変わってくると思うんです。「言われたことだけやる」スタンスでは、その価値は最小限に留まるでしょう。
そのためにリーダーとして意識しているのは、「仕事の意味づけ」です。システムによって生み出された成果をメンバーへ具体的に伝えて、業務のその先にある価値を見せてあげるのが、私の役目だと思うんです。なので、お取引先様にも折に触れて感謝の気持ちを伝えています。
社内外のさまざまなメンバーから構成されたチームによって、IT・デジタルを活かした新しい価値が生まれていくことは、私のモチベーションの源泉ですね。「みんな」で企業価値の向上に貢献するのは、この上ない喜びです。
先進的なデジタル化のヒントは、常に「現場」にあり
安田:これを成し遂げるという強い意志をもちながら、謙虚に他者の胸を借りて、喜びを分かち合う。だからこそ、他企業に先駆けて、前例のない価値を多く生み出してきたのだと感じます。丸井グループ様ではコロナ禍のはるか以前から、「オムニチャネル戦略」を展開したり、「店舗のデジタル化」を進めたりされていますが、どのようなきっかけで始められたのでしょうか?
海老原:たとえば、店舗で衣料品や靴を試着してネットで購入する仕組みをつくったのは2015年です。そのきっかけは、お客様の購買行動でした。店舗で靴を購入された後、持ち帰るのが大変なため、配送するお客様が多くいらっしゃったのです。であれば、売り場で試着し、店頭のタブレットで購入いただいて、倉庫からお客様の元へ直送しようという発想でした。
そのほか、カード申込書や配送伝票もデジタル化しました。いずれも店舗スタッフからの声をもとに変えていったのです。カード申込書をタブレットに変えたのは、もう10年ほど前ですね。
店舗オペレーションを変える手間はありますが、現場からの反対はありませんでした。当社はグループ一括採用で、部門間のつながりが深く、お客様からの声を積極的に社内へ共有し、部門を超えた軽い相談もしやすいカルチャーがあります。新たな取り組みの浸透では、この協力的なカルチャーに助けられていますね。
オムニチャネル戦略をはじめ、我々の取り組みが先進的だとお褒めの言葉をいただくこともありますが、これも「みんな」で意見を出し、どうすればもっとお客様に喜んでいただけるかを考え続けた結果です。
YouTube動画の共有から社内に広まったRPA
小さな成功体験が、組織浸透のカギ
安田:DXを進める際、現場の反発が起きるとの話はよく伺うものですが、社員の皆さんが次々と新しい取り組みを吸収していくとは、すごいことです。多くの社員にとって、ITやデジタルは身近な存在なのでしょうか?
海老原:そうですね。我々システム部門に頼らなくとも、デジタルを活用した課題解決を各現場ができるように努めています。
たとえばRPA(Robotic Process Automation、人間が行う仕事を自動化して業務効率を上げる技術)ができる人材は社内に100人ほどいます。この発端は、YouTubeの動画を社内に紹介して「ちょっとやってみよう」と投げかけたことでした。資料で説明するよりも動画のほうがはるかに伝わると考えたんです。すると、試しにやってみる人の輪がじわじわと広がり、今では累計9万時間ほどの業務時間を削減できました。
そのほかにも、グループ内ではDX研修をしており、学んだことを実践する「アプリ甲子園」というイベントも行っていますが、いずれも公募制にしているんです。興味をもった人がまず学び、得られたデジタルスキルを活かして業務の小さな改善をしてみる。そうすると周囲の人はその様子を見て「自分にもできそうだな」と思ってチャレンジする。こうして、多くの社員が小さな成功体験を積むことが大切だと考えています。
システム部門が中心となり行動する人の輪を広げ
事業や社会に大きな価値貢献を実現するチームであり続ける
安田:丸井グループ様が、これからどのように発展するのか楽しみです。ぜひ、今後の展望をお聞かせください。海老原:お取引先様に大きなご支援を頂いてきましたが、環境の変化もあり、もっと自社でできることを増やしていきたいという気持ちがあります。今のままではちょっと頼りすぎかもしれないなと(笑)。
RPAやノーコードの技術が広まり、専門家でなくともデジタルを活用しやすい世の中になりました。となると、今後10年の成長の鍵を握るのは、実際に行動に移す人をどれだけ増やせるかだと思います。丸井グループは、「プロデュース by デジタル」と銘打って、デジタルの力で新たなビジネスを創出したり、身の回りの課題をデジタルで解決できる人材を増やす取り組みをしています。これが企業価値向上につながり、ひいては社会課題の解決になると考えています。
そして丸井グループでは、昨秋にCEO直轄で「DX推進室」が立ち上がり、グループ全体でさらにDXを推進するための戦略や組織づくり、人材育成の議論が進んでいます。
私たちシステム部門は、そうした戦略も踏まえながら、事業に大きく価値貢献できる存在でありたいですね。デジタルを活用した業務改善は進んでいるので、大きな将来像を描き、グループ全体に影響を及ぼす大きな価値貢献ができるチームに進化を遂げていく。その舵取り役を担っていきたいと思います。
海老原健(えびはら・たけし)◎1991年、丸井グループ入社。2012年4月、エムアンドシーシステム 顧客システム開発部長、2014年4月、エポスカード 事業企画本部 システム部長、2018年4月、エムアンドシーシステム 取締役 顧客システム開発本部長、2019年4月、丸井グループ 執行役員 CDO、エムアンドシーシステム 取締役 デジタルトランスフォーメーション推進本部長、エポスカード 取締役を経て、2021年4月、丸井グループ 執行役員 CIO兼エムアンドシーシステム 代表取締役社長に就任。
安田稔(やすだ・みのる)◎1985年、明治大学 工学部卒業。デュポン・ジャパンでの営業経験を経て、1994年、コンパック日本法人入社。以降ITトップカンパニーで事業責任者を歴任。2015年8月、レノボ・ジャパン入社。同年レノボ・ジャパン 執行役員専務、NECパーソナルコンピュータ 執行役員に就任。2018年5月より、レノボ・ジャパン執行役員副社長。
日本のDXを牽引する “IT改革者たち” の脳内
第1回 丸井グループ 海老原 健氏 (本記事)
第2回 沖電気工業 坪井 正志氏
第3回 マツダ 木谷 昭博氏
第4回 明治安田生命保険相互会社 牧野 真也氏
第5回 三菱電機 三谷 英一郎氏