東京・九段にある築96年の歴史的建造物kudan houseで開催された若佐慎一の個展「魚行水濁鳥飛毛落(うおゆけばみずにごり とりとべばけおつ)」もそんな個展のひとつだ。
多くの作家に出会えるのがアートフェアの醍醐味だとすると、個展は一人の作家のパーソナルな内面に深くダイブする面白さがある。先日開催された若佐の個展には、彼の世界観に引き込まれるように経営者やクリエイターが押し寄せた。
なぜ、若佐の個展にはアートファンだけでなく多くの人が訪れるのか──。その理由を個展の表と裏の両側から考えてみたい。
読めない看板がお出迎え
ギョロっとした真円の眼を持つ、カラフルな招き猫。その横に並ぶ「魚行水濁鳥飛毛落」という奇妙な漢字。kudan houseで開催された若佐の個展のタイトルだ。
縦横、右左、どう読んだらよいかも迷うこのタイトルについて、若佐は次のように説明する。
「今回の個展のコンセプトは、痕跡。タイトルの『魚行水濁鳥飛毛落(うおゆけばみずにごりとりとべばけおつ)』という禅語は痕跡にちなんだもの。魚が泳げば水は濁り、鳥が羽ばたけば羽が落ちるように、芸術の活動のみならず人の行動はすべて痕跡として未来へ繋がっているもの。
この世に痕跡を残したいという強い衝動は、作家に限らず誰にでも通じる共通軸。普段は蓋をしている記録の奥底に眠る痕跡を呼び起こし、奮起させるトリガーとなる個展を目指した」
古い洋館で待ち構えるモノ
重厚で品格高い洋館のkudan houseには、若佐がこの個展のために創作した新作を中心とする約30もの作品が展示された。招き猫、熊、うさぎをモチーフにした作品が、壁だけではなく暖炉の上や、地下のボイラー室などで来訪者をそっと待ち構える。猫や熊といった親しみやすいモチーフ、POPな色合いは、一見「現代アートらしい」既視感により反射的に「かわいい」と思ってしまうかもしれない。
しかしその直後、口から吐くように溶けた顎、深い闇を掘り込んだ眼窩、無数の穴だらけの体に気づき、思わずぎょっとするだろう。こうした「かわいい異界のもの」が約30体も、レトロな洋館のあちらこちらに待ち構えているのだ。
日常の片隅に「かわいい異界のモノ」がいる。この光景は日本人ならきっと知っている、ザワッとする感触ではないだろうか。たとえば蕎麦屋にある招き猫、神社の狛犬、天狗のお面などもそれにあたる。
「日本人は自然や動物への畏怖の念、祈りをかたちにして日常の中で共存してきた。今回展示した熊やうさぎ、招き猫もそれに近い存在。見えないモノに対しての畏怖と愛しみの感覚は、日本人に刷り込まれた痕跡のようなもの。僕の作品を通じて無意識レベルの痕跡=アイデンティティに触れ、そこから何かが発動されることを期待した」