日本に暮らすウクライナの人々がひととき寄り添い、祖国のために祈りを捧げる集まりだった。通常ウクライナ正教会の聖堂内では楽器を使った演奏はしないものだが、その日に限って、同国出身のグジー・カテリーナさんによる民族楽器バンデューラによる演奏と美しい歌声が披露された。
この1年というもの、毎日のようにメディアから戦況報道が繰り返し伝えられていたが、それらをみている限り、こういう言い方は不謹慎かもしれないが、まるでウォーゲームの攻略解説を聞いているような感じがして、テレビの報道から眼をそむけたくなるような気分になることが多かった。
「戦争」は9年前に始まっていた
ところが、それまで自分にとって遠い出来事にすぎなかったユーラシアの戦争は、昨年春、ある古い友人の登場によって、にわかに現実味を帯びた話として筆者に突きつけられることになった。その友人とは、以前本コラムで紹介した日本人カメラマンの糸沢たかしさん(58歳)である。
彼は約20年前にウクライナ人女性と結婚し、同国東部のルガンスクに住むことになった。ふたりの子供にも恵まれ、幸せな日々を送っていた。しかし、ヤヌコーヴィチ大統領が失脚した「2014年ウクライナ騒乱」に端を発する、ドンバス地方(ドネツィク州、ルガンスク州)における独立派とウクライナ政府軍との紛争の勃発で、彼ら一家はその地の暮らしを追われ、現在、ポーランドに移住している。
そして、昨年2月下旬、ロシアによる首都キーウも含めた軍事侵攻が始まった。ちょうどその頃、帰国していた糸沢さんと約20年ぶりに再会した筆者は、都内で彼と何度か会い、身の上話を聞くことになった。
驚いたことがいくつかある。彼らにとっての「戦争」は、昨年ではなく、いまから9年前の2014年の段階ですでに始まっていたこと。それに、その後の約1年間の日本在住期間も含め、家族が安心して暮らせる地を探すための模索の日々が続いていたこと。さらに、ポーランドに暮らすことが決まってようやく落ち着いたかと思っていたら、今度は新たなロシア軍の侵攻で、同郷の知人・友人がポーランドに逃れてきたため、一家は彼らの退避生活をサポートすることになったことなどである。
ひとりの友人に起きたこのような人生の変転を知り、言葉を失うほかなかった。もっとも、彼自身も「なぜ自分はこんなことになったのか、よくわからないけれど、いまは自分に家族がいて、目の前で起きていることに、ひとりの人間として、また父親としてふさわしいふるまいをしなければならないだけだ」というのである。