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2023.03.01

認知症の資産凍結問題をエイジテックで解決へ 「ファミトラ」が描く家族信託の未来

ファミトラ 代表取締役 CEO 三橋 克仁

創業のきっかけは、幼少期の貧困体験

三橋がこのサービスを生み出したきっかけは、彼の幼少期にまで遡る。若い時はパリで活動し、三橋曰く「売れない画家」だった父親が東京に拠点を移したことで、子供時代の三橋は電気や水道が頻繁に止まる、貧しい生活を余儀なくされた。そんななか夢に溢れた三橋少年が目指したのが、宇宙飛行士だった。

猛勉強を重ね、もっと学ぶために塾に通いたいと親に訴えたが、貧困を理由に費用を出してもらえなかった。そんなお金で苦労した経験から、三橋は「お金のしがらみから解放されること」を人生の糧に生きてきたという。高校時代は、学費を稼ぐためアルバイトに明け暮れ、宇宙飛行士の登竜門である東大理一を受験するも、僅差で一浪。しかし、予備校(代ゼミ)で出会った講師に感銘を受け、運命の道が開けた。

「自分はいち予備校生の身分でしたが、代ゼミで繰り広げられる壮大な教育現場を目の当たりにして、起業するなら教育をテーマにしたいと決意を固めました」(三橋)

教育者か、起業家か━━葛藤を経て事業を売却

「僕の人生は、完全に仕事とシンクロしているんです。趣味は何?と聞かれても満足に答えられない(笑)。食事さえ、お腹を満たせばいいかな、くらいにしか思わないほど、仕事に身骨を砕いてきました」と語る三橋には、これまでの人生で3度、転機が訪れている。

三橋が東大に入学した2006年当時は、ホリエモン率いるライブドアが一世を風靡したIT起業家の百花繚乱時代。エンジニアとして自らコードを書き、ビジネスのノウハウを学んでいった三橋は、学費稼ぎの目的で株式投資へのめり込む一方、入賞すると賞金100万円とシリコンバレーへのツアーが約束されたコンペで、3回もの入賞を果たす。

1度目の転機は、聖地シリコンバレーで訪れた。

「現地に足を踏み入れると、数々のIT企業が軒を連ねるダイナミックさにカルチャーショックを受けました。ところがよく観察してみると、巨大なGoogle本社がある一方、社員が数百人規模のエバーノートのような企業もありました。『あれ、この規模なら自分でも会社を起こせるんじゃないか?』と閃いたんです」(三橋)

それからITベンチャーを立ち上げ、東大大学院の卒業時には、大手コンサルティングファームから特例つきの内定を受けるまでに。ここで三橋は2度目の転機に見舞われ、大きな決断をする。

「あまり悩まない性格ですが、3カ月悩んだ末、当時新卒としては充分に高い年収とMBA留学費用が保証された破格の条件の内定を辞退しました。『自分には雑草魂があるのに、ここで守りに入ってしまってはだめだ!』と心の声が聞こえた瞬間、情熱が恐怖に打ち克ったのです。辞退した日は、奇しくも自分の誕生日でした」(三橋)

その後、音声やホワイトボードを用いた個別指導をオンデマンドで受けられるスマホアプリ「manabo」をエンジニアとして開発し、さまざまな紆余曲折を経て軌道に乗せた。ところがそこで三橋に、「自分は教育者なのか?起業家なのか?」という葛藤が生まれ、3度目の転機を迎えることに。

「あと5年したら上場できた会社を、駿台にあっさりと売却しました。僕は教育者ではなく、『でかいことをしてやる!』と野心を抱く起業家だったのです」(三橋)

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文=中村麻美

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