国民の大反対を押し切って、米軍を受け入れたムシャラフ氏は、常に暗殺を警戒していたという。車列で移動する際には、必ずダミーの大統領車を一緒に走らせた。田中氏は「ムシャラフ氏は、陸軍司令部があるラワルピンディからイスラマバードに戻る途中、爆弾テロに遭ったこともありました。ダミーがあったおかげで、危うく難を逃れたそうです」と語る。
ムシャラフ氏はリアリストらしく、経済でも自由化政策を進めた。田中氏は、ムシャラフ氏がよく「外国からの投資が、昨年よりもこれだけ増えた」と嬉しそうに数字を挙げて語る場面に、何度も遭遇したという。しかし、その政策を推進すればするほど、国内のイスラム主義者からは「裏切者」と呼ばれた。
田中氏は「ムシャラフ氏が米国に接近すればするほど、パキスタン国内の情勢は、ムシャラフ氏が理想とする民主主義から遠ざかっていきました」と話す。ムシャラフ氏は2019年には国家反逆罪で欠席裁判のまま、死刑判決を一時受けたこともある。ムシャラフ氏は亡命生活を送ったドバイで、周囲に、パキスタンに戻りたい考えを漏らしていたとされるが、結局、その夢は果たされなかった。
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