ムシャラフ氏死去、リアリストがたどった厳しい運命

マンモハン・シン氏(左)とパルヴェーズ・ムシャラフ氏(右)(Photo by: Rajeev Thakur/ INDIAPICTURE/Universal Images Group via Getty Images)

パキスタンのパルヴェーズ・ムシャラフ元大統領が5日、死去した。79歳だった。ムシャラフ氏は、軍トップの陸軍参謀長だった1999年にクーデターで政権を握り、2001年から2008年まで大統領を務めた。2016年から治療のために渡ったアラブ首長国連邦のドバイで亡命生活を余儀なくされた。大統領在職時に、駐パキスタン大使を務めた田中信明氏は「リアリストで国を救った人物でした。しかし、リアリストゆえに、一般国民から憎まれた悲劇の人でもありました」と語る。

田中氏が鮮明に覚えているのは、2005年春の小泉純一郎首相によるパキスタン訪問だった。パキスタン側は、アジーズ首相とムシャラフ大統領が小泉首相と会談する準備を進めていた。しかし、小泉氏は「俺の相手はムシャラフだけだ」と言って、アジーズ首相との会談に難色を示した。小泉首相は4月30日、イスラマバードの空港に到着した。小泉首相を乗せた車列は、そのまま首相官邸へと向かったが、小泉氏は車中でも同乗した田中氏に「俺はアジーズには会わない」と言い張った。そのまま官邸に着いた小泉氏を出迎えたアジーズ首相は巧みな話術で小泉氏の気持ちをやわらげ、ムシャラフ氏との首脳会談につなげた。

ムシャラフ氏は快活な性格で、笑顔を絶やさなかった。日本が関心を寄せた、カーン博士による北朝鮮との核開発協力については一切口を開かなかったが、「日本の援助のおかげで、本当にパキスタンは助けられている」と何度も繰り返し、小泉氏を持ち上げた。小泉氏の機嫌は大いに直り、訪問後に記者団に「パキスタンは親日国だ」と語った。

田中氏はムシャラフ氏について「的確な情勢判断のもとに、原則にとらわれず、現実的な対応ができるリアリストでした」と語る。ムシャラフ氏が大統領在任中の2001年9月、世界同時多発テロが発生した。当時のブッシュ米政権は、アフガニスタンに侵攻する拠点としてパキスタンに基地の提供などを求め、ムシャラフ氏は受け入れた。田中氏は「パキスタン国内はほぼすべてがイスラムです。そのうえ、パキスタンは米国から何度も裏切られています。ムシャラフ氏の決断は驚くべきものでした」と語る。
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文=牧野愛博

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