磁気シールド屋が見つけた光
できることは本当にひとつもないのだろうか。仕事が増える見込みがないならばと、奥村はアカデミアの世界で突破口を探し始めた。特許を読みあさり、磁気関係の学問を扱っている大学を片っ端から回るなかで、奥村は日本における超伝導研究の第一人者である、金沢工業大学の故・賀戸久教授との運命的な出会いを果たした。
賀戸教授によると、当時の医療分野では、超伝導の仕組みを利用した画期的な技術が存在していた。例えば人間の体から出る生体磁気を測定することで脊髄の疾患部位を特定し、患者の身体を傷つけない非浸潤性検査を可能にする技術につながるものだった。
しかし、その機器を作動させるために必要な磁気シールドは非常に高価であり、例えば1000万円の装置を置くためには、1億円の磁気シールドが必要となるような状況だったのだ。これでは病院はローンを組むことすらできない。しかも、重量は10トンもある。
「お前たち磁気シールド屋が何の努力もしないから、世の中が救われないんだ」
本気の説教にショックを受けたが、教授の発言は事実だった。磁気シールドに使われる軟磁性材料のJIS規格は、昭和30年代からほとんど内容が変わっていない。つまり、50年以上技術革新が生まれてこなかったのが磁気シールド業界の実態だった。
「とはいえ、正社員30人ほどのしがない町工場にそんな大仕事ができるとは思えなかった」と奥村は振り返る。自分たちの仕事は、図面通りにものをつくること。研究開発など50年以上してこなかった零細企業に、いったいどうやって世界を救えというのか?
手に余ると判断した奥村は「オータマではできないけれど、世の中のために誰かがやるべき」と、大学で集めた情報を同業他社に話して回った。ところがどの会社も磁気シールド事業から退く判断をした後であり、前向きな返事はひとつとして得られなかった。
「困っている人たちを救うために、磁気シールドが必要とされている。けれどいま、この業界に残っているのは自分たちしかいない。それならば、やれるだけやってみるしかない」