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2023.03.14

『おやじはニーチェ』 年老いた親との会話に哲学が応用できる理由

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そこで哲学を持ち出せば、ほんの少しポジティブに考えられるかもしれない。実際、著者は前述した会話のあとにヘーゲルを用いて父の言葉を考察し、以下のような結論を出している。

認知症は治らないといわれている。しかしこれが病気ではなく哲学的問題なら、たとえ直らなくても解決することはできるのではないだろうか。

認知症患者の言葉は「哲学に根差した根源的な問い」なのだ?

筆者は本書を読み、認知症患者との会話に哲学を応用することには二つの意義があると考えるようになった。一つはもちろん、相手をより深く理解すること。そしてもう一つは、自分自身を納得させることだ。認知症患者の言葉を「わけの分からない放言」ではなく「哲学に根差した根源的な問い」であると解釈すれば二つの意義の双方、とりわけ後者に役立つだろう。自分自身を納得させることは介護の中で家族を諦めないために最も重要なポイントであるはずだ。

もちろん、著者の武器は哲学だけではない。認知症患者に関する知識も平均を遙かに超えて蓄えており、本書には介護に関わっていくにあたって有用な記述がいくつもある。

しかし、それでもなお父との日々は一筋縄ではいかなかったようである。介護の日々が続けば哲学を持ち出す余裕さえなくなってしまうことは想像に難くない。何より著者の場合は仕事量を抑えてまで父と向き合っていたため、次第に経済的な不安にも苛まれるようになった。このような状況下では人は容易に切羽詰まってしまう。

「そんな場合じゃない」。すがすがしいほどに喝破


そんなとき、著者の支えになったのは妻の存在である。著者の妻は父の介護へ親身になって協力しただけではなく、どこか飄々とした言葉で著者の固定観念を壊しにかかる。著者の父を「わけもなく駄々をこねるし、ダメダメじゃん」と評する一方で「お父さん、イイ男だもん」と言ったりもする。極めつけには以下のようなセリフで著者をのけぞらせるのだ。

 「『存在』とか言ってる場合じゃないでしょ」

特に西洋哲学では『存在』という言葉にこだわるし、本書でも幾度となく繰り返されている。それを妻は「そんな場合じゃない」と、すがすがしいほどに喝破する。これもまた一種の人生哲学だろう。著者が頼ったのは哲学者の哲学だけではなかったのだ。

そして、このエピソードには哲学以上に基本的なヒントが隠されている。それは「困ってしまったときは他人に相談する」という当たり前で、しかし追い詰められたときにはどうしても忘れがちな考え方だ(筆者自身、介護の生活が気楽になったのは周囲の手を借りることを覚えてからだった)。

介護を前にして、思い通りになる場面はほとんどない。中でも最も難しいのは、いつまで続くか見通しが利かないことだろう。本書の場合は436日間だったが、その幕切れも決して事前に予想できるようなものではなかったようだ。

予測不可能で終わりが見えないからこそ、せめて自分の内側の部分を整えておくことが重要になる。その点で本書は豊富な哲学の知見を手がかりに、読者に新しい考え方を提示してくれるだろう。

数年間にわたった筆者の、祖母への介護も区切りがつく時期に入った。欲を言えばもう少し早く出会いたかったと、切実に思わせてくれる一冊だった。


おやじはニーチェ』(髙橋秀実著、新潮社刊)

文=松尾優人 編集=石井節子

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