このアワードで「カッティングエッジ賞」を受賞したのが、ものづくりの街・東大阪市にある竹中製作所だ。同社が手がけるのは、特殊な防錆加工を施したボルトやナット。雨風にさらされる、振動が絶えない、人間が入りにくい、そんな過酷な場所でこそ真価を発揮するこの「さびないボルト」は、どのように世界で注目を集めるようになったのか。
高い耐久性と安全性が求められる原子力発電所や石油プラント、化学工場、高速道路、地下トンネル、風力発電所。これらの社会インフラを担う構造物で使われているのが、竹中製作所が手がける「ボルト」だ。
1981年には京都大学との産学連携で、6年もの研究開発の末にオリジナル製品「さびないボルト」が誕生した。それが一般的なコーティングの10倍以上、塩水噴霧試験6000時間の防錆(ぼうせい)耐久性がある「タケコート(R)-1000」である。
その後高温域の焼き付き防止効果のある「タケコート(R)-セラミック1」、衝撃や摩耗への耐性を強めた「ナノテクト(R)」など独自の表面処理技術を次々と開発している。
「タケコート(R)-1000」は発売から35年以上たった現在も、国内の防錆が求められる現場ではトップシェアを誇る。海外からの評価も高く、1986年には石油メジャーの米エクソンモービルのマスターベンダーリストに採用認定された。
オンリーワンスピリットで独自のボルト・ナット製品の製造を行う同社で、5代目社長を務めるのが竹中佐江子だ。創業者である祖父、そして主力製品の「タケコート(R)-1000」を開発した父の姿を見てきた竹中。しかし、自分が家業を継ぐことは人生設計にはなかった。
「父は昔ながらの考えで、『金属加工業は女性には難しいだろう』と私たち3姉妹に継がせる意思はありませんでした。私自身も大学を出たら就職するなり留学するなり『好きなようにしなさい』と言われていました」
竹中は大学卒業後、住友商事に入社。鋼材第一部薄板グループに配属となり、国内外の営業に従事。念願だった海外とかかわる仕事をしながら順調にキャリアを積んだ。父親から「会社を手伝ってほしい」と声をかけられたのは、入社14年目のころだった。
「私自身は住友商事での仕事がすごく楽しくて、これまでのキャリアを捨てるのはもったいないと悩みました。しかし、祖父の代から続く竹中製作所で、違う仕事を経験してみるのもいいのかなと決心したんです」
こうして2009年竹中製作所に入社し、経理や人事・採用、営業など一通り現場の仕事を経験したのち、16年に取締役社長に就任した。竹中が社長になった年は、アラブ首長国連邦(UAE)に工場を設立し初の海外進出を果たした年でもある。
「タケコート(R)-1000」は、1996年にUAEの国営石油から防錆防食性コーティングボルトとして採用承認を受け、以降、石油プラントの需要が高い中近東へ多く輸出していた。しかし、約10年前に主要な石油会社のスペックが変更されてしまい、類似品にシェアを奪われ始めてしまう。海外シェアを奪還するためには、日本から輸出するのではなく現地に工場を構え、現地調達の鋼材でコストダウンしながら即納できる体制を整える必要があったというわけだ。