今回このアワードで「GREEN REVOLUTION賞」を受賞したのが、三重県津市の浅井農園だ。生産者であると同時に、研究開発者でもある「アグロノミスト(農学士)集団」である彼らは、トマトやキーウィなどの大規模農場を運営し、収穫・運搬ロボットなどを導入するスマート農業を展開している。経営者の浅井雄一郎が、農業を通じて目指す未来とは?
東京ドームとほぼ同じ面積の敷地に広がる大規模なグリーンハウスに、艶やかなトマトの果実が並ぶ。その間を、トマトを収穫するロボットや、収穫したトマトを高く積み上げたロボットたちが行き交っている。
三重県津市を本拠地とする浅井農園は、「植物と一歩先の未来へ」というフィロソフィーを掲げ、ただの農作業者ではないアグロノミスト(農学士)集団として、研究開発とスマート農業を行う農業カンパニーだ。
デンソーとの合弁会社アグリッド、辻製油と三井物産とともに立ち上げたうれし野アグリといったグループ会社と共に、次世代型農業を研究・実践している。
事業の核となるのは、独自の品種開発と高度な栽培管理技術をかけ合わせた“オーダーメイド型”のトマト生産。消費者のニーズに応えるため、オランダやスペイン、イスラエルなど海外の種子会社から優良品種を選んで品種評価研究を行い、独自の品種として商品化している。
リコピンをたっぷり含んだミニトマト「たっぷリコ」や、房ごと収穫して販売する「房取りミニトマト うれし野」、子どもの食べやすさと持続可能な社会への貢献を追求した「はぐくみトマト」などが、その代表的な商品だ。
グループ全体の年間生産量は約3000トン。これらは国内だけでなく、香港やシンガポール、マレーシアなどの海外にも輸出されている。
現在、パートタイムを含めたグループの従業員数は約500人。代表の浅井雄一郎が19歳のときにアメリカで描い「地域のなかでビジネスとしての農業がキラリと光る存在になり、たくさんの仲間と一緒に、仕事終わりにバーベキューをする」という夢のただなかにいる。
浅井農園はもともとサツキツツジなどの生産を営む小さな花木農家で、浅井はその5代目として生まれた。ところが、バブル崩壊以降は花や植木の需要が低迷。債務超過に陥るなど経営は厳しく、高校生ごろまでは父親の職業が農業であることをやや引け目に感じていたこともあり、家業を継ぐのは嫌だと思っていた。
転機となったのは、大学入学直後の19歳の夏。父親からアメリカの農業カンパニーでインターンシップをしてみないかと勧められた。夏休みだからと軽い気持ちで行ってみると、その先に広がっていたのは日本の農業とはまったく別物の世界だった。
「そこには200人くらいの社員が、たくさんの部署に分かれて農業をビジネスとして運営していた。僕はそれまで、家族経営の農業にしか触れたことがなかったので、農業でもこんなふうに組織で生産性を高めていくことができるのかと驚きました」
3カ月のインターン期間中は、1~2週間ごとに部署を転々とし、水やりや出荷の品質管理、育種選抜など、多岐にわたる仕事を経験した。
いまでも鮮やかに思い出すのは、金曜日の夕方になると、会社のみんなでバーベキューを囲んだことだ。
「社長がグリルでハンバーガーを焼いて、200人の社員に振る舞うんです。その楽しいひとときに希望と憧れを抱くと同時に、日本の農業も家族経営では限界があるという危機感をもちました」
その後、世界中の農業を見て学びを得たいと、バックパックを背負ってひとりヨーロッパや中国、南米などの農場を巡った。そのなかで、やはり将来的には日本の農業に貢献できるようなことがしたいと考え、家業を継ぐ意志も固まった。
大学を卒業すると、まずは業界の知識やビジネススキルを身につけて自信をつけようと、農協や農業関連企業のコンサルティングを行う東京の企業に就職。その後、環境エネルギー系のベンチャーに転職して事業開発に携わる傍ら友人と自ら農業ベンチャーを共同創業。ゼロから新事業を立ち上げる経験も得た。そして、5年後の2008年、28歳で実家に戻り、花木事業で瀕死だった経営を立て直すため、第二創業としてトマト栽培を始めた。