新たな農業モデルで憧れの職業に
「僕、実はトマトが苦手なんです」。そう語る浅井がトマト栽培を選んだのは、感動するほどおいしいトマトに出合ったことがきっかけだ。それは、農業ベンチャーでの仕事を通じて知り合った静岡の肥料会社が、ストレスをかけて甘くするという技術を用いて栽培したトマトだった。トマトは子どもの好き嫌いが分かれる野菜だ。でも、実際にトマトが苦手な自分が感動したものであれば、好きになる子どもが増えるのではないかと考えた。カネも人手もなかった浅井農園の経営資源は、農地だけ。トマト栽培が失敗したら会社もなくなるという窮地で、ひたすら現場でトマトに向き合った。暗闇に光が差してきたのは、それから3年がたったころだ。トマトの栽培技術が向上するとともに周囲からも評価が得られるようになり、業績も改善していった。組織として人が雇えるようになり、仲間も増えていった。
「何もなかった経営資源が、ひとつずつ揃っていくような感覚でした。結果が出始めてからは一気にグーッと、指数関数的な成長トレンドに乗っていったんです」
そして15年、研究のためのハウスを本社横に建設。三重大学大学院で博士号を取得した人材を採用し、独自の品種開発に着手した。トマト栽培を始めた当初から従来のトマト農家と異なっていたのは、「自分でつくったトマトを自分で売る」ということだ。
通常であれば商品は農協を介して市場やスーパーに並べられるが、トマト農家としてはまったくの素人だったがゆえに、迷いなく直接スーパーに飛び込み営業をした。そうしていると、もっと甘いトマトが欲しい、皮の薄いトマトが欲しいといったニーズが聞こえてくるようになる。
事業が成長して経営資源が増えるにつれ、ただおいしいトマトをつくるだけでは本当に消費者に満足してもらうことはできないのではないかという思いが頭をもたげ、新しくおいしいトマトの品種や技術を追求する研究開発型の農業カンパニーを目指そうと思い至った。
翌16年、浅井自身もトマトの育種研究で博士号を取得。研究者の採用に力を入れる一方で、収穫ロボットなどのテクノロジーを活用したスマート農業を進めてきた。
「日本の農業のイメージは、きつい、汚い、稼げない。また、ニュースでも農業従事者の高齢化や耕作放棄地の増加といったネガティブな内容ばかりが取りあげられています。こんなことでは、いつまでたっても農家は子どもたちが憧れる職業になれるわけがないんですよ。自分はひとりのプレイヤーとして新たな農業モデルをつくり、誰かにベンチマークされるような存在になりたいと思うようになったんです」
浅井は、常に日本の農業の未来を見据えながら、同時に世界も見ている。それは、バックパックを背負って世界の農場を回ったあのときから、ずっともち続けている意識だ。
19年には、ニュージーランドのゼスプリと業務提携し、キウイフルーツの生産にも乗り出した。また、オランダやスペイン、チリなど、さまざまな国の企業や大学と連携し、トマトに限らない野菜の品種改良や農業技術の研究を積極的に進めている。
「国が違っても農業としてやっていることは同じ。だから、もし自分たちが本当によい技術やソリューションを開発できれば、世界中の人に使ってもらえる可能性があるはず。だから、世界中の農家をターゲットに、アッと驚くような研究開発ソリューションを仕掛けていきたいんです」
世界で戦う武器を着実に増やしていく一方で、浅井は「技術やソリューションはただの手段であり、会社や農場もただの箱にすぎない」と、冷静に語る。「社員たちが人生の時間を投資してくれるこの箱を、僕はもっとワクワクするものにしていきたい。農業にやりがいや生きがいが感じられれば、人生は豊かになり、そんな人が増えれば地域も豊かになる」
三重だけでなく北海道、福島、沖縄宮古島と着実に拠点を増やしていくなかで、日本にワクワクする箱を増やして、多くの地域や人を豊かにしていくことがいちばんの目標だ。
「農業の役割とは何なのか。その問いを常にみんなで考えながら、人が豊かになるための仕事を生み出し、本質が揺らがない経営をしていきたい」
浅井雄一郎◎1980年、三重県津市生まれ。経営コンサルなどを経て2008年に家業の花木農家を継承。第二創業でトマトの生産を始め、研究開発型農業の拡大を目指す。代表取締役CEO。
浅井農園◎1907年創業。2008年から、ゲノム育種やAIによる生産管理、農業ロボット開発など、研究開発型農業を進める。辻製油・三井物産と経営するうれし野アグリ、デンソーとの合弁会社アグリッドも運営する。
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