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2023.02.26 19:00

TOKYO No.1 SOUL SETのサイコロトーク!「Jr.」たちに贈る’90sの音楽体験記

左から、BIKKEさん(1968年生まれ・埼玉県出身)、川辺ヒロシさん(1967年生まれ・鹿児島県出身)、渡辺俊美さん(1966年生まれ・福島県出身)

左から、BIKKEさん(1968年生まれ・埼玉県出身)、川辺ヒロシさん(1967年生まれ・鹿児島県出身)、渡辺俊美さん(1966年生まれ・福島県出身)

Jr.たちに残す黄昏 ’90sストーリーズ●我々のティーン時代、カルチャーに多大な影響を与えた「TOKYO No.1 SOUL SET」。今や立派なジェントルマンになった3人が’90年代当時の思い出をプレイバックし、次世代に金言を残す。いざ、サイコロトーク!

オーシャンズ世代にとって、’90年代の記憶はいつまで経っても特別だ。当時、新しい音楽やファッションを体現していたトップランナーたちは紛れもなく我々のスターである。
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例えば「TOKYO No.1 SOUL SET」。ファッションや音楽を新たな形で表現した彼らは、当時それがすごく渋谷っぽくてカッコよく映ったものだ。

彼らも立派な大人となった今、あの怒涛の時代に何があったのかをサイコロに刻まれた目に応じて、3人に話してもらおう。まずは、音楽トークからスタート!

バンドブームの最中、僕らはクラブを選んだ 


BIKKE どうもこんにちは、TOKYO No.1 SOUL SETのBIKKEです。今日は「Jr.たちに残す黄昏’90sストーリーズ」ということで、我々がサイコロトークをします。出た目のテーマに沿って、当時を振り返ろうじゃないかと。じゃあ早速ふってみましょうか!

ーーお願いします!
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BIKKE おっ、いきなり「音楽」と出ましたよ。クラブに遊びに行っていたときの話もあるし、具体的な曲の話もあるけど、衝撃的だったのは藤井 悟(カリビアンダンディー)さんかな。

渡辺俊美 DJのね。

BIKKE そう。藤井 悟さんがクラブでDJをしていたとき、レコードの最後までいって無音になっちゃったことがあって。それを無視して夢中になって次のレコードを探しちゃってるんですよ。週末でお客さんはパンパンなのに。

それで「(音楽が)止まってますよ」って言ったら、ただ針を戻して最初から流し直したっていう。それを見たときに『うわっ、この人すごいんじゃないか?』と思って。

一同:(笑)。

BIKKE 多少取り繕うとかさ、そういうのあるじゃない? 何もせずに頭からバンッて流し直すメンタルのすごさというか、トリッキーなスタイルというか、本当に驚いたよね。そういう逸話はいっぱいあるよね。


渡辺俊美 普通では考えられないような面白い人たちが周りにたくさんいたよね。そういうカッコいいDJの先輩方を見て、楽譜を読めない自分たちでも、音楽ができるんじゃないかって勇気を与えられたかも。

BIKKE うんうん。

渡辺俊美 あと時代的な話で言うと、ちょうどバンドブームで、オリジナル・ラブや斉藤和義くん、怒髪天が出てきた時期だったんです。音楽的にバンドシーンが注目されている中で、僕らはクラブを選んだっていうのが特別だった気がするんですよね。

あの頃、スチャダラパーや電気グルーヴとかが楽器を弾かなくても音楽を作れることを体現していて、それがすごくカッコいいと感じていたんですよ。

ーーヒップホップやテクノからの影響は大きかったですか?

川辺ヒロシ 当時のヒップホップで言うと、NYのジャングル・ブラザーズやデ・ラ・ソウル、ア・トライブ・コールド・クエストだとか、あのあたりのセンスの良さみたいなものに衝撃を受けました。

ブートのビデオでライブを観たら、すごく荒い感じでやっているのを知ってビックリしましたね。その荒さがカッコよくて全然ナードじゃないんだなって思いました。実は、あの3組の後ろにはテイ・トウワ(TOWA TEI)さんがいたってことを後から知って、すごいところにいたんだな……って。

あとはマッシヴ・アタックあたりの影響が音楽をやる上でいちばん大きかったです。当時はWEBやSNSが発達していなかったこともあって、毎週リリースされる新譜をチェックしながら、この音はきっと、こうやって作っているんじゃないかな? って考えながら刺激を受けていましたね。
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写真=佐藤ゆたか 取材・文=田島 諒

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