植田氏の起用はサプライズだったが、岸田文雄首相は賢い選択をしたように思える。植田氏は下馬評には名前があがっていなかったが、マサチューセッツ工科大学(MIT)で研さんを積んだ経済学者であり、1998年から2005年まで日銀の審議委員を務めるなど過去に日銀で働いた経験もある。
予想外の人選となった理由の1つは、岸田が第一候補と考えていた日銀の雨宮正佳副総裁に断られたからだ。雨宮副総裁は、約23年におよぶ量的緩和の手じまいをしなくてはいけなくなる仕事は引き受けないほうがよと考えた。また、日本の国内総生産(GDP)を超える700兆円規模に膨らんだ日銀のバランスシートを、日本経済をクラッシュさせずに縮小することも求められる仕事も。
黒田総裁はマイナス金利からの出口に向けた地ならしくらいはできてもよかった。日銀総裁としての在任期間が約10年になる黒田総裁は政治的に大きな影響力をもっており、大半の前任者より高い裁量権も得ているからだ。だが、その彼にしてもこれまで二の足を踏んできた。
2022年12月20日、黒田総裁は日銀が世界で最も危険な「ジェンガ」に着手したそぶりを見せた。54のブロックでつくったタワーから1つを抜き取っていちばん上に置き、崩したら負けとなるおなじみのテーブルゲームは、日銀が抱える難題の比喩としてうってつけだ。どちらも、一手間違えただけで全体が崩れ落ちてしまう危険があるからだ。
黒田総裁はこの日、日銀が築きあげた金融のタワーが不安定になるかどうかを確かめようと、ブロックの1つに手をつけた。それまで0.25%程度としていた長期金利(10年物国債の金利)の変動許容幅を0.5%程度に拡大したのだ。政策のごく細かい微調整だった。にもかかわらず、この変更は世界の市場に激烈な反応を呼び起こし、円も急騰した。黒田総裁はゲームから手を引いた。
その後、黒田日銀は予定外の国債大量購入に踏み切り、ジェンガを中断したことを市場にも知らせた。
そして、世界にパニックを起こさずにブロックを引き抜いていく方法を考え出すという重責は、植田氏に託されることになった。うまくいってほしいと心から願う。