平和への希求というテーマ
第1章の終わりで、難民審査の結果が出る秋まで一旦棚上げとなる済州島でのルポにかわって、第2章では、自国政府の弾圧から逃れ亡命者した2人の偉人について語られていく。俎上にあがるのは、スペインのチェロ奏者で世界的な音楽家のパウ・カザルス(1876年〜1973年)と、ナチスから逃れる亡命途中にピレネーの山中で命を絶ったドイツの文学者ヴァルター・ベンヤミン(1892年〜1940年)である。たどった運命こそ異なる彼らだが、故郷を捨てて逃げることでそれぞれの新たな道を切り拓こうとした20世紀の傑人だ。著者は自らを培ってきたその2人の人生の航跡をたどることで、同じ境遇におかれているイエメン人たちの未来をしばし重ねてみせるのである。
やがて第3章に入ると、話は再び秋の済州島へと取って返すが、さらに最終章では、今まさに世界を暗雲で覆い、日本でも過去40年間の合計人数を上回るほどの避難者を受け入れているウクライナ紛争へと話題を転じ、作者の主張を鮮明にしていく。すなわち、平和への希求というテーマである。
「逃げる」という言葉には、ネガティブな響きもあるが、テレビドラマのタイトルに使われたことで有名になった「逃げるは恥だが役にたつ」という東欧の諺は、戦う場所を選べという意味だし、トラブルに見舞われ、策が尽きた時には、捲土重来を期して「三十六計、逃げるに如かず」と言ったりもする。
難民や亡命者といった祖国を追われた人々を通じて作者が本書で語りたいのは、実は「逃げること」=「国を守ること」という真理であり、平和が戦争をねじ伏せるためには、時には「逃げる」ことが絶対に必要な行動だと、真摯に訴えかける。
本書でも触れられる日本国内の入国者収容所で起きている信じがたい事件の数々や、次々と悪しき事例が噴出する技能修習生制度の問題などを見るにつけ、他国の民を受け入れることにかけては先進的とは言い難い自国の現状には、ほとほと嫌気がさす。
しかし、最終章の巡り会いのエピソードは決して奇跡ではない。逃げることを肯定し、逃げる者たちに心から寄り添うことで、著者が成し遂げた成果なのである。
そういう意味でこの「逃亡の書」は、日本人にとっての平和への道を切り開く指南書であり、「希望の書」ともなりうる1冊だと思う。