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2023.02.15

「意味」を超える、身体の共鳴を都市に。霊長類学とデザイン─。異なる領域から見つめ直す、これからの都市の進化

京都大学前総長/現総合地球環境学研究所所長で、ゴリラ研究の第一人者である人類学/霊長類学者の山極壽一は、ゴリラとの生活のなかで行った生態系の観察を通して、人間に宿る本質やコミュニケーション、社会のありようを見つめてきた。一方、建築のバックグラウンドをもつデザインストラテジストの太刀川英輔は、デザインの視点から過去の系譜を捉え直した、進化的な思考を探り続けている。江戸時代に花ひらいた文化の中心地であった八重洲・日本橋・京橋エリア、そして東京という都市の過去と現在をどのように捉え、未来へつなげていくべきか。そのヒントは「流れ」を取り戻すことにある。


日本人は、過去を捨てていない

太刀川英輔(以下、太刀川):山極先生はもちろんのこと、河合雅雄さん、今西錦司さんをはじめとした研究者たちが打ち立ててきた日本の霊長類学/サル学は、西洋史のなかではある意味タブー視されてきたヒトと動物の境界、あるいはグラデーションを観察のなかで探り、文化人類学と生態学の中間領域を埋めてくださった学問だと理解しています。こうした学問の領域に日本人が踏み込めたのは、人間が自然の一部であるという、固有の自然観や生命観が私たちのなかにあったからなのではないかと感じます。

山極壽一(以下、山極):僕は40年以上アフリカに毎年通ってゴリラの研究をしてきました。その目的は、人間とゴリラの間の「どちらにもあること」「どちらかにあること」「どちらにもないこと」を考え、その曖昧さのなかに人間の過去や心の本質、なんらかの真実を見出すことにあります。この西洋や近代的価値観からするとどっちともつかない中庸、あるいは「間の精神」は日本の都市の風景にも見てとれます。

日本文学研究の第一人者で、自身も50年以上日本を行き来し、日本国籍を取得したドナルド・キーンさんは、かつて「日本人は過去を捨てていない」と表現しました。八重洲・日本橋・京橋といった場所は現代では高層ビルが立ち並びながらも、その足元ではかつて花ひらいた江戸の文化を思わせるものが至るところに残っている。日本人は、近代的な生活のなかに過去の精神生活を味わう、パラレルワールド的な風景を都市のなかにもっている。それが強みなんじゃないかと思うんです。

太刀川:一方で、「かつての日本人はそうであったが、いまの/これからの日本人も果たしてそうであろうか」という問いも忘れてはいけませんよね。まさに八重洲・日本橋・京橋が中心地であった江戸初期は人口増加や過剰な開発、森林伐採による環境・生態系の破壊、鎖国による資源の少なさ、たび重なる飢饉など、社会問題が噴出した時期でもありました。しかし、その後約300年かけて、江戸の人口は激増しながらも自然環境は回復した、という世界的に見ても稀有な現象が起きています。

その背景には徹底したサーキュラーエコノミーと、自然と人間の営みが地続きになった、「恵み」への祈りの循環がありました。そうした自然との付き合い方がありましたが、明治時代の初期に起こった江戸の公用書体(御家流/くずし字)の廃止によって積み上げた文化のリソースにアクセスできなくなり、自然の循環というカルチャーは急速に失われていってしまった。結果、かすかに名残はあるものの、知恵や文化の流れに分断が生じたというのが僕の考えです。こうした「流れ」の分断があるなかでは、本気で、つなぐつもりでアクションを起こしていかないと、過去を現在、未来へとつないでいくことは難しくなっているのが私たちの社会の現状なのではないかと思います。

「川」に、何を合流させるか

山極:僕が現代における都市の「流れ」を考えるうえで非常に重要だと感じるのは、「川」の存在です。これまで、日本人は湿地や海など、もともと人間が住んでいない場所を埋め立てながら空間を拡張し、街や都市を形成してきました。そうしたなかにあって、いつの時代も、どの場所でも残ってきたのが川沿いの景観です。八重洲・日本橋・京橋周辺で発展した江戸の文化や産業、循環は、荒川や隅田川などの運河の存在なしには語れません。

太刀川:江戸を「東洋のヴェニス」と呼んだ外国人もいたくらいですもんね。流域圏で発達する都市というのは自然な姿ですし、だからこそ目の前の川や山の生態系が崩れることは自分たちの生活に直結するから大事にしていた。そこから少し遠くにある上流の環境も非常に大切でした。

1964年東京オリンピックに向けてつくられた、日本橋川の大半を覆う首都高速道路の地下化に伴い、かつての日本橋川の豊かな水辺空間を取り戻すプロジェクトはこのエリアの非常にポジティブな要素です。そこから更にもう一歩すすめ、もちろん自治体も違うのでハードルは高いですが上流や下流の東京湾との関係性も含めた生態系を再構築するような枠組みまでデベロッパーが踏み込んで計画できれば本当にかっこいい。流れを再び取り戻そうとしたときに「何が合流するべきか」を考えるのが重要で、それが成功したとき、そのモデルを世界中に輸出することも可能になるはずです。

「間」の世界をいかにつくるか

山極:川はモノや人のつながり、関係性、文化など、常に新しいものが運ばれてくる場所でもありますよね。此岸の世界の常識にも彼岸の世界の常識にも属していない、間(はざま)の場所。だから、そこに架かった橋は待ち合わせ、商談、駆け落ちなど、さまざまな用途で使われてきました。こうした日本人の精神のなかにまだかすかに残っている中間的な空間、あるいは機会がこれからの社会にはますます必要で、静止的な空間を重視した都市デザインにおいてそうしたさまざまな流れが軽視されてきたなかでは、太刀川さんがおっしゃったようにあえてつくり出していくことが重要になるのではないかと思います。

日本人の精神に残る、中間的な空間がますます必要になる―(山極)

太刀川:中間地帯は建築プログラムの観点からも本当に重要だと感じます。江戸時代には、商いをやる「表店」と、その裏に住居の「裏長屋(裏店)」が存在し、複数の家族と個人が住まいにとどまらずさまざまなものを共有していました。その中央には井戸と空き地があり、ある種の緩衝地帯がありました。また、この長屋の世帯人数を見てみると、おおよそ150人程度のコミュニティで成り立っていたようで、これは人間が安定的な社会関係を維持できるとされる人数の認知的な上限である「ダンバー数」とほぼ一致するんです。変化には偶発性が不可欠ですから、こうした江戸期の街区のつくり方と都市開発をいかにミックスして、多様なものが集まる中間領域を生むかも鍵になりそうです。

山極:ヒトは神から地上の支配権を与えられているという西洋の感性と比較して、天と地には「間」があり地続きであるという感性が日本人の精神の奥底にはあって、それは木から下りて地上で動き回るようになったサルから人間が受け継いだ感性でもあると思うんです。だからこそヒトは横のつながりを重視してきたし、長屋のようなあり方はそれを表しているといえますね。それを考えると、高層ビルとかつての東京の精神生活が混在する八重洲・日本橋・京橋周辺は、両者とも異なる世界のつながりを大事にした場所にしていけるかもしれない。

太刀川:グランドレベル(1階)が街に開かれたビルも増えてきましたよね。

山極:そうですね。以前、学部生と大学院生を対象にした集合住宅のコンテストの審査員をやったのだけど、そこで面白かったのは、大きなビルでも1階が街に開いているものが非常に多かったことです。そこにはテーブル、誰でも座れる椅子を並べた通り抜け可能なオープンスペースがあったり、喫茶店があったりします。

人間が生み出した言葉は風景や文化、世界に「意味」を与えました。都市というのも、意味によってつくられた空間です。20世紀の代表的な建築家であるル・コルビュジエの「都市/建築とは機能こそすべてである」という言葉が物語るように、機能的/生産的な都市のあり方が重視されてきた。しかし、文化には触覚・味覚・嗅覚などの、視覚・聴覚だけにとどまらない、もっと直感的な身体の共鳴があるはずです。コンクリートで隔てられた壁の多い空間では、その共鳴は非常に生まれにくい。意味や機能だけに頼らない感覚の共有は、信頼関係の構築になくてはならないんです。なぜなら、触覚・味覚・嗅覚は近接していないと共有できないもので、むしろ共有しているかもわからないけれど、だからこそ相手を知りたいという気持ちを生むからです。

人間は内なる言葉というものをもっていて、新しいものに出会って気づき、内なる言葉と気づきを交錯させて思考します。それによって創造性が生まれ、文化は停滞せずに積み上がってきたんです。そのためには、身体を同調させながら、まだ見えない、聞こえない何かを想像しながら互いに共鳴し合って気づきをもたらしてくれる空間、つまり社交の空間を、これからますます意識的に仕掛けていく必要があるのではないでしょうか。

日本人は遊び好きである


2人の対談はオンラインにて実施された。

2人の対談はオンラインにて実施された。


太刀川:さまざまな流れの分断をいかに超えるかをソフト面から考えたとき、江戸期でいえば「連」が非常に参考になります。これは偽名を許容し、身分や所属を超えて集まる趣味・文化を媒介としたアノニマスなコミュニティだったわけですが、多様な人間が集まる仕掛けが幾重にも重なっていた同時期のコミュニティのあり方は学ぶ点は多いはずです。

山極:以前に作家の重松清さんとお話ししたとき、彼は新興住宅街には3つ足りないものがあると言っていました。ひとつは人間の寿命を超えるもの。これは老木でも古い建築でもいい。歴史を感じられるものということです。もうひとつは宗教施設。この世とあの世という二重性を生活のなかにもたないと、合理的に現実を生きる価値観しかもてず生き方に幅が出てこない。そして、最後が盛り場です。日常の常識を捨てることができ、人間の心がもっている表裏を体験することが重要であると。

太刀川:そういう意味では、老舗や神社仏閣、路地に面した居酒屋など、八重洲・日本橋・京橋エリアはその名残がある場所でもありますよね。開発においても昔ながらの場所を平地にせず、残しながら進めているそうですし、山極先生がおっしゃる日本の過去という強みが点在しているエリアでもありますから、期待を抱いています。

山極:農業や林業ではなく、サービス産業が主軸となった現代の都市では、パフォーマンスによるつながりの仕掛けが鍵になりますよね。さらに、さまざまな職種の人間が集まっているわけだから何でも起こり得る。

ドナルド・キーンさんは「日本人はものすごく遊び好きだ」と言っていたんですね。日本人は真面目なイメージがあるけれども、実のところ遊びの種類がこれほど豊富な国はほかにない。例えばお祭りや神輿もそうだし、日本の家屋には透彫りや柱彫りなどの遊びが仕掛けられていて、それがお茶を飲みながら話をするうえでの良い材料になっていました。日本橋には老舗の日本料理屋が数多くありますが、ある日本料理屋の女将さんは、和食の神髄は料理そのものではなく、そこでいかに楽しい時間を過ごせるような場所を演出するかだと言っていました。目に見えない世界を想像して、楽しんだり、ちょっと微笑んだりする空間や時間の仕掛けを昔から試みてきたのが実は日本料理なんです。

文化とは遊びによって生まれてきたわけですから、遊びを生活の隅々に忍ばせながら新たな文化を創造し直すこと。これは、社会問題が噴出し、社会や都市空間においてみんなが不安を抱えながら生きているからこそ、より意味を増してくるのではないでしょうか。そして、これはドナルド・キーンさんの「過去を捨てていない」という話にもつながってきます。日本の学ぶべきところは、むしろ日本にあるのではないか。そうした視点は、都市設計において日本の強みになっていくように思います。

未来からバックキャストする

太刀川:農業や自然と都市が未来でいかに融合できるかをAIに描いてもらったことがあるんですが、これが結構面白いんですよ。現在の土壌環境など現実的な部分に鑑みると絶対起こり得ないものではあるんですが、それがなぜできないのか、あるいは起こり得るとしたらなぜなのかというように、理想とする未来からバックキャストして考えていくことも、とても有効なはずです。

山極:私が所長を務める総合地球環境学研究所では、2050年の未来に立ったときにどういう世界になっているか想像し、そこから現代に遡って何が必要かを考える「フューチャーデザイン」という手法も使っています。今の状態をどう改善していくかと同時に、未来の予想図から考えるのも重要ですよね。私は未来の都市を考えたとき、「道」を中心にした都市設計からドラスティックに変わり、「水上交通」がより発達していくんじゃないかと思っています。渋滞操作やインフラ整備にかかるコスト、エネルギー、物流の問題を考えると、水上交通を組み合わせることで様々な問題を解決できるんじゃないかと想像しています。そうすれば、人がもっと道を歩ける都市にもつながるんじゃないかと。

太刀川:暗渠となってしまった周辺の水路が将来的に復活するとしたとき、これから行う都市開発がその将来にも有効かを考えるのは面白い思考実験ですよね。未来がどうあってほしいか、あるいはどうあってほしくないか。両方の視点をもって理想から逆算し、過去と未来が繋がる。そうしたアプローチもこれからますます重要になっていくと思います。

デザインで接続する、YNKエリアの過去・現在・未来

(YNK...八重洲/"Y"aesu 日本橋/"N"ihonbashi 京橋/"K"yobashiの通称)
「デザイン」によって、これからの都市を問い、YNKエリアの文化を紡いでいく。太刀川英輔が手がけるプロジェクトのなかから、そのヒントとなる事例を紹介する。

ADAPTMENT

山極先生との対談でもお話しした、環境省の気候変動適応策におけるデザイン戦略を策定するプロジェクトのために、水路と自然に満ちた都市開発のイメージをAIに描かせました。僕がリードしつつ、さまざまな生態学者などが参加しながら進めています。

山本山

今年で333周年を迎える江戸の老舗「山本山」のパッケージやロゴのブランディング。江戸への回帰をコンセプトに、江戸時代のお品書きに遺されていた「山本嘉兵衛商店」の文字から山本山のロゴを抽出し、欧文書体も江戸と同時期のものに合わせました。

ZENBLACK

京橋の駅直結ビルに入居する「東洋インキ」とともに、製品のリサイクル率向上などにつなげるプロジェクトです。史上最も黒い漆を用いて制作した漆器など、日本の高いテクノロジーを新しい表現にまとめ上げました。

 

やまぎわ じゅいち
◎人類学者/霊長類学者。第26代京都大学総長。鹿児島県屋久島で野生ニホンザル、アフリカ各地でゴリラの行動や生態をもとに初期人類の生活を復元し、人類に特有な社会特徴の由来を探ってきた。著書に、『家族進化論』(東京大学出版会)、『「サル化」する人間社会』(集英社インターナショナル)、『京大総長、ゴリラから生き方を学ぶ』(朝日新聞出版)などがある。


たちかわ えいすけ◎NOSIGNER代表。JIDA(日本インダストリアルデザイン協会)理事長。未来に役立つデザインをつくるデザインストラテジスト。様々なセクターに変革者を育むため、生物の進化という自然現象から創造性の本質を学ぶ「進化思考」を提唱し、創造教育の活動を続ける。著書に山本七平賞を受賞した『進化思考』(海士の風)などがある。

interview & text by Takuya Wada / photographs by Yutaro Yamaguchi & Makoto Koike

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