「ロマーリオとベベットという決定力のある2人を前に置いて、後の選手は守る。あれがサッカーといえるのかい?」
ジーコは鹿島アントラーズの現役引退直後だったためか、まだ湯気が立っているような状態で、口から出る言葉は尖っていた。
1994年のセレソンは、ジーコの指摘するようにロマーリオとベベットという2人のフォワードは攻撃に専念、中盤の選手のドゥンガたちは守備を固めた。そして効果的に得点を挙げた。そのサッカーをジーコは批判したのだ。
ブラジル人が本当に愛するサッカーは「フッチボール・アルチ」である。直訳すれば「芸術サッカー」となる。中盤からパスを繋いで、相手を翻弄し、華麗に得点を決める。その象徴が、ジーコがいた時代のフラメンゴというクラブチームだった。
「黄金のカルテット」と称された、ジーコにソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾの1982年ワールドカップのセレソンもその延長上にあった。
ただ、美しいサッカーは勝負弱い。特に守備を固め、カウンター攻撃を得意とする相手にはあっさりと負けることがある。1982年大会のイタリア戦がそうだった。フットボール・アルチという軛(くびき)があったから、24年間も優勝できなかったとも言える。
1994年時点で、ジーコの見方は、かなり支持されていたように思えた(それに苛立ったロマーリオとジーコは衝突を起こすことになる)。
新たな才能も生まれているが
ブラジルは、日本と韓国で行われた2002年のワールドカップで優勝した後、低迷期に入った。2006年大会のロナウジーニョ、ロナウド、カカ、アドリアーノたちが揃ったセレソンは、フットボール・アルチに近かった。しかし、準々決勝でフランスに敗れた。続く2010年の南アフリカ大会でも、やはり準々決勝でオランダに敗退した。ブラジル人の誇りをこなごなにしたのは、いまから8年半前、地元ブラジルで行われた2014年のワールドカップ準決勝でドイツに1対7で完膚なきまでに叩きのめされたことだった。そのときのドイツは結果だけでなく、内容でもブラジルを凌駕していた。
今回、ブラジルのサッカーを俯瞰して感じるのは、彼らが自信を失っていることだ。その証左の1つは、有力クラブチームの監督に外国人が増えたことだ。
今年のブラジル全国選手権一部リーグの開幕時点で20チームのうち、実に10人が外国人監督。その内訳は、ポルトガル人が7人、アルゼンチン人が2人、ウルグアイ人が1人。名門クラブとされるフラメンゴ、パルメイラスの監督はともにポルトガル人だ。かつてはあり得なかった。