日本から見ると地球の反対側にあるブラジルは、いろいろな意味で真逆の国だ。貧富の差が少ない日本、その反対のブラジル。小器用な才を量産することが上手い日本、文字が書けない人もいるなか飛び抜けた天才が生まれるブラジル。悲観的で皮肉を吐きがちな日本人と、楽天的なブラジル人──。
人に対してと同じように、国にも相性がある。ぼくはブラジルと相性が良く、すぐにこの国に惹きつけられた。その後、1997年から1998年まで約1年間、当時勤めていた会社の休暇制度を利用して、サンパウロを拠点に南米大陸をバスと船で1周している。2000年からは1年に1回程度の割合でブラジルを訪れている。
日本からブラジルまでは飛行機で乗り換えを合わせれば約30時間はかかる。それだけの時間を使うのだからと、ブラジルには3週間ほど滞在することが多い。全部足せば、人生のうち約2年間はブラジルにいることになる。とはいえ、今回のブラジル訪問は、8年半ぶりだ。これほど期間が空いたのは、1994年以来、初めてのことだ。
ジーコの1994年の尖った発言
スクラップ&ビルドが激しい日本と比べると、ひさしぶりに目にするサンパウロの街の変化は緩やかである。しかし、明らかに変わった部分もある。大通りを歩いていると、犬を連れて散歩する人に次々と会う。コロナ禍によりブラジルでも在宅勤務が進んだという。家にいる時間を快適に過ごすため犬を飼う人が増えたのだ。またショッピングモールで小綺麗なチョコレートを売る店も目に付くようになった。懐に余裕がある中産階級の数が増えたと思われる。
ブラジルではサッカー関係の取材をすることが多い。これまでジーコやソクラテス、ドゥンガから無名のサッカー選手、そしてジャーナリストたちの話を聞きながら、この国のサッカーの「物差し」をぼくなりに理解してきた。
8年半ぶりの今回、その物差しが変化したと感じている。
1994年に初めてブラジルの地を踏んだとき、直前にアメリカで行われたサッカーのワールドカップで、セレソン(ブラジル代表)は1970年大会以来、実に24年ぶりの優勝を成し遂げていた。ただ、その内容に関しては、少なくないブラジル人は懐疑的だった。