高知銀行初の女性支店長、女性取締役。現在、同行の常務取締役を務める三宮昌子が歩んできた道は“初”だらけだ。
「目の前のことに必死で立ち向かってきただけ。そのたびに、かつては見ようともしなかった壁が見えてきて、一つずつそれを乗り越えてきたんです」
そう言うと、南国土佐に降り注ぐ太陽を思わせる清々しい笑顔を見せた。
三宮が地元の商業高校を卒業し、高知銀行の前身である高知相互銀行に入行したのは1976年。男女雇用機会均等法すら施行されておらず、結婚退職が当たり前の時代だった。事務センターに配属され、23歳で結婚した三宮も、出産を機に退職を考えていたという。
「ところが、上司から辞めずに働くことを勧められたんです。さらに、別の上司からは『いずれ営業店に転勤するかもしれないから、昇進試験に必要な勉強をしておきなさい』と言われて、通信教育も受講しました。その後、私は一人親として息子を育てることになったので、上司の助言に従っておいて正解でしたね」
入行9年目で営業店に異動。窓口で顧客セールスに注力するうちに能力を認められたのだろう。数年後、渉外係(外回りの営業)に任命された。当時は、女性は窓口か後方事務、男性は貸付か渉外といったように性別によって仕事が明確に分けられていたため、驚きの店内異動だった。
「『なんで私が外回りをせんといかんがか!』と反発してね。でも、上司に『銀行の看板を背負う渉外に、できもせんと思う者を任命することはない』と言われて」
嫌々始めた渉外の仕事だったが、次第にやりがいを見いだしていく。面白さに気づいたのは、住宅ローンを実行したときだ。
「お客様から『本当にありがとう』とお礼を言われたんですよ。家の購入という人生の節目でお役に立てたことに感激して、これぞ銀行員冥利に尽きると思った。その経験から『挑戦せずに断ってはいかん。機会を与えられたら、まずやってみる。答えはその後や』と考えるようになったんです」
当時、女性の渉外は珍しかったので、実績は二の次でよかったが、三宮はそこに甘んじなかった。
「能力的に劣るのは仕方ないとしても、女性だからという理由で特別扱いされるのは納得がいかん。そう訴えたら、男性の渉外と同じように担当地区を持ってお客様を任せてもらえるようになりました」
一方で、“ファーストペンギン”としての銀行員人生は、悔しさや孤独と隣り合わせだったという。いまも忘れられないのは、30代半ばで預金の役席(支店長代理職)になったときのことだ。
「ほかの金融機関の役席との交渉の際、電話の声が女性だというだけで『役席に代われ』と言われ、『私が役席です』と言い返したこともありました」